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ミシェル・プラティニ(1)UEFA新会長になったフランスの“将軍”

 ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)の新会長に、80年代のフランス代表主将、ミシェル・プラティニが選ばれた。
 加盟53ヶ国、大陸単位の各種のスポーツ連盟の中で、規模の大きさでも豊かさでも傑出しているUEFAは、FIFA(国際サッカー連盟)の中にあっても大きな力を持っている。その舵取り役となったプラティニは、アメリカ的なスポーツビジネスを採り入れ、チャンピオンズリーグや大国のリーグの成功の陰で生じた立ち遅れた国々との格差是正にも目を向けるという。そしてまた、ヨーロッパのフットボールのことはヨーロッパのフットボーラーが決めるべきだという、スポーツの独立をも説いている。
 繁栄の中に、金まみれの体質の見え隠れする風潮の中で、プラティニのスポーツマンライクな主張に共感する人も多いだろうが、さて、チャンピオンズリーグでの4大国の参加チーム数削減案(各4チームと3チーム)などが提案されると、強い反対も出てくるだろう。極東の私たちにもUEFAの動きはしばらく気になるところだ。

 ミシェル・プラティニが80年代の世界的スター選手であったことは、よく知られている。しばらく停滞していたフランスサッカーの栄光を取り戻し、82、86年のワールドカップではともに準決勝に進み、84年欧州選手権では初優勝を果たした。クラブチームでは、サンテチエンヌ時代にフランスリーグ優勝。イタリアのユベントスに移ってからはセリエAの優勝に加えて、チャンピオンズカップ(現・チャンピオンズリーグ)優勝と、それに続くトヨタカップ(現・クラブワールドカップ)での“世界タイトル”獲得もあった。85年12月に東京で行なわれたアルヘンティノス・ジュニアーズ(アルゼンチン)との対戦で、彼は全盛期のプレーを日本のファンに披露、ビッグゲームの緊張感の中で、サッカーが美しく楽しいスポーツであることを見せた。
 86年ワールドカップを最後にフランス代表から去り、翌年、現役にピリオドを打った。その最後の公式試合が87年8月8日、イングランドはウェンブリーでのフットボールリーグ100周年記念『フットボールリーグ選抜対世界選抜』だった。ちょうど、20年前のことだ。

 選手プラティニは、“将軍”と呼ばれたようにゲームメイクの能力を評価されたが、ゴールを奪うストライカーとしても傑出し、第2列から出ていくフィニッシュに非凡の才を見せた。そのシュート力の基礎となる右足のキックはフリーキック(FK)でも生かされ、今の中村俊輔(セルティック)のように、見る者に常に期待を抱かせていた。
 最初のクラブ、ナンシーで98得点(175試合)79年からのサンテチエンヌで58得点(107試合)82年からのユベントスで68得点(147試合)。さらに76年から11年間のフランス代表での、歴代最多の41ゴール(72試合)の記録は、彼の決定力の証だが、セリエAでの3年連続得点王とスコアは、堅守で鳴るリーグだけに特筆ものと言えるだろう。


 生まれたのはフランス東部、ロレーヌ地方の小さな町ジェフ。父親のオルドは数学の先生で、アマチュアのサッカー選手だった。プロからも誘われたほどで、近隣では上手なミッドフィルダーとして通っていたというから、ミシェルには生まれながらに父親の資質が入っていたのだろう。
 11歳で少年チームに登録し、17歳でナンシーと契約。初めはアマチュアだったが、74年にプロ契約した。その前の年、ロレーヌ地方のベストアマチュア選手に選ばれ、この地域ではすでに名を知られるようになっていた。

 76年3月27日、20歳でフランス代表でデビューし、対チェコスロバキア(当時)戦に出場して、チームの2点目をFKで決めて2−2の引き分けに貢献した。このときの監督がミシェル・イダルゴ。ここから監督と未来のキャプテンとの2人のミシェルのコンビが始まる。  代表としての最初のゴールがFKというところがプラティニらしいが、これは彼の多くの優れた技術の中で、とりわけキックの能力が高かったことによるだろう。前回までに紹介したハンガリーのフェレンツ・プスカシュは16歳の頃すでに、相手チームのゴールキーパー泣かせの強いシュートを持っていたが、プラティニの場合、長蹴力――ボールを強く遠くへ蹴ることに突出していた。
「遠く蹴る力を伸ばそうと、16歳くらいの時から、ハーフラインにボールを置いてゴールめがけてシュートする練習をしていました」とは、彼が私との“お茶の時間”に語ってくれたこと。50mの距離から幅7.32m、高さ2.44mのゴールの枠へシュートをして入れるのは、相当のキック力が必要とされると同時に、精度の高さが必要だ。50mを狙う力があれば、25mのFKはまさにコントロールキックということになるだろう。自分の得意技を伸ばす、スーパースターの工夫と努力だった。


(週刊サッカーマガジン 2007年5月15日号)

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