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ミシェル・プラティニ(5)プレーメイカー&ストライカーとしてペレ、クライフの系譜に

 1984年欧州選手権(EURO84)で、ミシェル・プラティニはフランス代表の主将として初優勝、開催国にタイトルをもたらし、自らも大会得点王(5試合/9得点)となった。
 そのゴールの内訳は
  ▽FKの直接ゴール(2)
  ▽PK(1)
  ▽ヘディング(2)
  ▽走り込んでパスを受けてのシュート(2=右1、左1)
  ▽リバウンドを拾う(2) となっている。
 ヘディングとFKについては前号で紹介している。プラティニのヘディングの強さが急に注目されたのは、98年ワールドカップの決勝でジネディーヌ・ジダンが、相手ブラジルの意表を突くヘディングによる2得点を叩き込んで世界を驚かせ、優勝への道を開いた――のとも似ている。

 アラン・ジレス、ジャン・ティガナ、ルイス・フェルナンデスとプラティニによる中盤の“四銃士”の攻守の連係の良さが、この頃のフランス代表の看板。プラティニはその中軸として、長短のパスの使い分けや攻め込みの“間(ま)”の取り方などで、非凡な才能を発揮した。ときには自陣深く戻っての守備もあり、その深い位置からの前線へのパスは、長さといい、ボールの速さ(強さ)といい、これまでの“フランス流”には見られなかったものだった。そしてさらに、相手ゴール前への飛び出し、後方からの長いランによる得点が、この大会の白眉の一つでもあった。
 彼のようなドリブルの名手で、FKも定評があり…といった、いわゆる“組み立て役”“プレーメイカー”的な選手が、仲間のFKのリバウンドを狙って走り、それをモノにするのを見たのは、私にも驚きでもあった。
 そして、ゴール前への“詰め”の後、取った(あるいは拾った)ボールを落ち着いてゴールへ送り込むところは、あまりの落ち着きぶり(と言っても一瞬のことだが)に思わず笑ってしまうほどだった。

 準決勝で2−2のまま延長が終わろうとしていたロスタイムに、ティガナのドリブルからのクロスを受け、ワントラップして右足でゴール右上へ決めているが、今、そのときのメモを見ると
「E(フェルナンデス)―K(ジレス)―M(ティガナ)、Mが右に流れて中へ I(プラティニ)シュート 止めて右足で右上へ」とある。

 コーチの多くは「シュートは抑えて」と考える。GKに取られない“高さ”も大切なのだが、それを意識するとバーを越えてしまう危険があるため、抑えよう――ということになる。このメモで、わざわざ「右上へ」と書き込んでいるのは、緊迫の場面のなかでポルトガルGKの手の届かないところへ蹴ったプラティニの落ち着きに感嘆したからでもある。
 第2列からの飛び出し、あるいはもっと長い距離を走ってフィニッシュに加わることで、プラティニは、それまで「パスワークは素晴らしいが、決定力に欠ける」と言われたフランス代表の攻撃力を高めたが、この変貌はセリエAのユベントスに移ったことによる、と言われている。守備重視のイタリアでは、攻めのチャンスであっても、リードしていればあえて攻めに出ないことも多く、それがプラティニの攻撃マインドを刺激し、パスを出すだけでなく自らも出ていってゴールを奪い取ることにつながった、という。

 このときのフランス代表のFWはドミニク・ロシュートを欠き、ギー・ラコンブやブルノ・ベローン(あるいはディディエ・シス)といった、自らが点を取るよりもスペースを空けることのうまいタイプだったこともあったが、この大会で見たプラティニは、まさにプレーメイカーでありストライカーであり、あの“王様”ペレ(ブラジル)やヨハン・クライフ(オランダ)といった先輩の系譜を継ぎ、天才ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)に並ぶスーパースターとなった。フランス流に言えば、58年ワールドカップ3位の大先輩、パスの名手レイモン・コパと得点王ジュスト・フォンテーヌの2人を合わせた活躍ということになる。

 このEURO84では、ビンチェンツォ・シーフォ(ベルギー)やドラガン・ストイコビッチ(ユーゴスラビア=当時)ミカエル・ラウドルップ(デンマーク)といった若い才能にも目を見張らされた。
 次の年、85年12月8日、東京・国立競技場でのトヨタカップ(現・クラブワールドカップ)で、プラティニとラウドルップのいるユベントスが、アルヘンティノス・ジュニアーズ(アルゼンチン)と戦い、2−2の末のPK戦で勝った。プラティニは63分にPKを決め、82分のラウドルップのゴールを見事なパスでお膳立てしただけでなく、攻撃の起点とフィニッシュにかかわるプレーで、トップクラスのサッカーを示した。30歳と、頂点にあった彼のプレーに、日本のファンはサッカーの楽しい夢を見た。


(週刊サッカーマガジン 2007年6月12日号)

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