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レアル・マドリーの9万人のスタジアム
このビルバオのクラブと同じ年に、首都マドリードでも、マドリー・フットボール・クラブが生まれる。のちのレアル・マドリーで、欧州というより世界的にも、もっとも名高く、もっともリッチなクラブとなった。
マドリードは、スペインの国土のほぼ中央600メートルの高原にある町だが、9世紀後半に、回教徒が中心地、トレド防衛のために砦を築いたのがはじまりらしい。地中海沿岸の古代ローマや、ギリシャ人による建設の起源をもつ町と比べると、ずいぶん新しく、首都になったのは16世紀から。
ゆったりとつくられた町並の北の一角、幅100メートルに近いカスティジャーナの大通りに面したところに、サンチャゴ・ベルナベウ・スタジアムがある。収客力9万89人のレアル・マドリーの本拠地だが、創立当初は市の東方の闘牛場近くのフィールドがホームだったらしい。
1910年代にこのチームのCFとしてプレーしたベルナビュウ氏が、第2次大戦後の1948年に会長となり、現在地にグラウンドを移した。
例のディ・ステファーノ氏をはじめとする大補強も、新競技場に移ってからで、彼のほかに名MFミゲル・ムニョス、俊足ウイングのヘント、ウルグアイのナシオナルからリアルを買い、1954年にはスペイン・リーグで初優勝し、黄金期をつくっていく。当時はクラブ員6万人、54年に拡張して12万5千収客となったスタジアムは、歓声に満ちていた。82年W杯のときは立見席を減らして収容力は少なくなったが、それでも試合を終わったあと、9万人がスタジアムから大通りへはき出され、散っていくのはまことに壮観だった。
(サッカーダイジェスト 1989年4月号「蹴球その国・人・歩」)