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ミシェル・プラティニ(6)80年代サッカー界に攻撃の名棋譜を残した優雅で力強いストライカー

 5月23日、アテネでの欧州チャンピオンズリーグ決勝でミランがリバプールを2−1で破った(7度目の優勝)が、そのテレビ映像にミシェル・プラティニの姿があった。UEFA(ヨーロッパサッカー連盟)の会長として、このファイナルに臨席するのは当然のことだが、彼の姿を見て、ファンの中には22年前の1985年チャンピオンズリーグ決勝、ユベントス対リバプール戦を思い出した方もいただろう。
 この試合(1−0)は、相手側サポーターのユベントス側への“攻撃”に始まる“ブリュッセルの悲劇”という恐ろしい事件の記憶が付いて回るのだが、決勝ゴールはプラティニのPK。56分に彼のロングパスを受けたズビグニェフ・ボニェク(ポーランド代表)の突破から生まれたもので、右足インサイドでGKブルース・グロベラーの逆を取って、ゴール左へ決めている。

 フランス代表での欧州制覇に続いて、クラブでの欧州、世界(トヨタカップ=現・クラブワールドカップ)とステップを上げれば、次に残るのはFIFAワールドカップとなる。
 86年のワールドカップ・メキシコ大会は5月31日から6月20日まで、メキシコシティ、プエブラ、トルーカ、イラプアタ、グアダラハラ、ケレタロ、レオン、モンテレーの8都市・10会場で24チームが争った。ディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)の活躍があまりに華々しく、“マラドーナの大会”とまで言われたが、実力チームが揃って、見応えのある充実した大会でもあった。6組のグループリーグから各組上位2チームずつと3位の好成績4チームが16強に進出するのは82年大会同様だが、ここからを、2次リーグではなくノックアウト方式に変更されていた。

 フランスは1次リーグC組でカナダに1−0、ソ連(当時)に1−1、ハンガリーに3−0の2勝1分けで、ソ連に次いで2位となって第2ラウンドへ進む。1次リーグのソ連戦(6月5日)から徐々にチームの調子は上向きとなり、6月17日の第2ラウンド1回戦では前回チャンピオンのイタリアを2−0で破った。
 前半14分にパトリック・ロシュトーのスルーパスを相手ディフェンスラインの裏で受けたプラティニが決めて先制し、52分の決定機は逃したものの、その4分後にジャン・ティガナ、ロシュトーとわたって、ロシュトーからのパスをヤニック・ストビラが決めた。

 次の相手はブラジル。6月21日、グアダラハラでの準々決勝はまことに、これぞサッカーと言える好ゲームだった。フランスはGKジョエル・バツとマニュエル・アモロス、マキシム・ボシス、パトリック・バチストン、ティエリ・テュソーの4DF、ティガナ、ジレス(交代84分=ジャン・マルク・フェレリ)プラティニとルイス・フェルナンデスの4人のMF、そしてFWはストビラとロシュトー(交代99分=ブルノ・ベローン)。

 ブラジルはGKカルロス、DFのジョジマール、ジュリオ・セザール、エジーニョ、ブランコに、エウゾ、アレモン、ジュニオール(交代91分=シーラス)ソクラテスの中盤、FWにカレカとミューレル(交代71分=ジーコ)と、これもお馴染みの顔ぶれ。ブラジルがカレカの一撃で16分にリードすると、フランスはロシュトーからの早いクロスをプラティニが左ポスト隣でとらえて1−1。
 フランスの精妙なパスとブラジルの意表を突く展開、ともに攻撃的で鋭い動きと折々に見せる経験は、熟成チームの対戦にふさわしい滋味があった。後半途中から投入されたジーコがPKを失敗するといった“事件”もあったが、延長の末のPK戦でフランスが4−3で制した。この試合をテレビ観戦したあのマラドーナが「もっともっと見たい試合」と言ったとか。

 イタリアに勝ち、ブラジルを制した次の相手は、西ドイツ(当時)。6月25日、グアダラハラでのこの試合はプラティニには“悪夢”となる。
 9分に西ドイツのディフェンダーで強シューターのアンドレアス・ブレーメのシュートをGKバツがファンブルし、それがゴールへ転がり込んでしまう。
 0−1となってフランスの攻勢は強まり、チャンスが生まれる。しかし、決定的なそれを2度、ジレスが逃し、プラティニのシュートのリバウンドもボシスが外した。
“想像力”のチーム、フランスの生むチャンスの見事さ、それを防ぐ西ドイツのタフさは、フランス側のゴールを生まず、タイムアップ直前にルドルフ・フェラーのロブシュートがバツの上を抜いて0−2となった。

 フランス代表として多くの“棋譜”を残したプラティニはここで代表から去り、翌87年には選手生活にピリオドを打った。彼のワールドカップへの思いは、10年後、ジネディーヌ・ジダンたちによって達せられるが、トリコロールのファンは、プラティニ時代を忘れることはなく、“将軍”の優雅で力強さを秘めたプレーとシュートは、今も語り継がれることになる。


(週刊サッカーマガジン 2007年6月19日号)

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