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【番外編】日本代表 キリンカップでの2発

 キリンカップサッカー2007で、日本代表はモンテネグロ代表に2−0で勝ち、コロンビア(1−0モンテネグロ)と0−0で引き分けた。優勝のかかったコロンビア戦はとても面白い試合だったが、対モンテネグロ戦も、身長に優る相手からヘディングで2ゴールを奪って、あらためて空中戦への興味を高めてくれた。ゴールハンターのシリーズの連載の途中だが、“番外編”としてこの2ゴールを中心にゴール奪取について考えてみたい。

 まず1点目。左CKから遠藤保仁が直接ゴール前へ送らずに、後方の中村憲剛にパス(いわゆるショートコーナー)。中村憲がこれを丁寧に遠藤に戻し、遠藤が止めないで右足でキック、高く上がったボールはカーブしながら、ゴールエリアやや内側へ落ちる。ゴール正面の2人の日本FWを警戒していたモンテネグロ側は、2人が頭上を越えようとするこのボールを後退しながら取ろうとした。その背後、外側から中澤佑二がジャンプして頭でボールをとらえ、強く叩かれたボールはGKブカシン・ポレクビッチの頭上を抜いた。
 この得点は、まずキッカーの遠藤がファーポスト側を狙ったこと、そして、中村憲からのリターンパスをダイレクトで蹴ったことが第1のポイントとなる。
 遠藤は優れたキッカーでFKの名手、つまり停止球を蹴る上手さは誰もが知るところだが、ロングキッカーではないから(前号までのミシェル・プラティニの項をご参考に)コーナーからファーポスト側へコントロールするには何mか中に入っていた方がいい。その位置を選び(オフサイドにならないために少し戻っている)かつ距離の出やすいダイレクトキックをした。
 同時にまた、中村憲がボールを抑えた巧みなサイドキックで、蹴りやすいボールを遠藤に返したところが、ポイントの2番目。

 この遠藤―中村憲のパス交換で、相手DFの目はボールに注がれる。遠藤のキックの瞬間にペナルティーエリア中央ぎりぎりにいた中澤が右側へ走り、ボールの落下点へ走り込むのが第3のポイント。この彼の動きを相手側は見ておらず(ボールに目が行っていた)いわゆる“消えた”状態から中澤が背後に現れることになり、ここで彼の特色とも言うべき187pの強い体を生かしたジャンピングヘッドが生きた――こう書けば、いかにも簡単なようだが、実際はそうではない。
 このフィニッシュをスロー映像で見れば、中澤の復活を見ることができる。

 前半23分のこの先制ゴールに続いて38分に、今度は右サイドの駒野友一からのクロスを、高原直泰が相手DFの前(ニアサイド)に入るアーセナルゴールが生まれた。
 この攻撃の発端は、左サイドでの高原のキープから始まる(1点目のCKも、高原のDFラインの裏への動きに合わせて出した遠藤のロブのパスから生まれたチャンスだった)。
 高原からタッチ際の山岸智にボールが渡り、それが内側の中村憲へ。ここで中村憲は特有のターンで体の向きを内に変え、右足のサイドキックで右サイドの駒野へ送った。
 相手側が日本の左サイドに寄っていたため、駒野は全くのフリー。余裕を持って中の動きを見ることができたのが、このゴールの一つのヤマ。
 高原は左サイドのプレーの後、ペナルティーエリア左角あたりにいて、ボールが駒野に移ると、駒野の持ち方を見て中央に動く。中央から矢野貴章が左へ移動する。そして駒野の斜め前への低いクロスがゴール正面右寄りへ送られる。そのボールを相手DFの前でかっさらうように高原が飛び込んできて、巧みなヘディングでニアポスト側へ叩き込んだ。
 左から中央へ移動してきた高原も、ボールに対応しようとしたDFの視野の外にあって(目が駒野のボールを追っているため)これも“消えて”いたから、相手DFは高原の鋭い走り込みヘッドを妨げることはできなかった。

「互いの長所を生かすのがチームワーク」とは、ベルリン・オリンピック(1936年)世代の名FW川本泰三さんの言葉だが、この2ゴールも、それぞれのプレーヤーが自分のいいところを出し、それを結び付けているところに意味がある。約70年前の日本のストライカーで、当時の国内試合で密着マークの的となっていた川本さん自身が考えだした“消える”状態を、フィニッシャーが協調動作の中でつくり出して得点しているところが興味深い。
 ドイツで実績を重ねた高原が、その成長した姿を見せてくれたのはとても良かった。
 第2戦の60分に日本が左から中へつないだチャンスも、高原が相手左サイドで奪ってから始まったもの。中村憲のシュート失敗は彼にもチームにも“もったいない”ことだったが、高原を含め、海外の4人と国内の選手の進歩がみられた2試合だった。


(週刊サッカーマガジン 2007年6月26日号)

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