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マリオ・ケンペス(4)ルーケ、アルディレスとの巧みな組み合わせで世界を制した偉大な部品

「どうやった、ワールドカップは?」
 1978年ワールドカップから帰国後、川本泰三さん(故人=1914〜1985年)のところへ伺った。
 1936年のベルリン・オリンピックの対スウェーデン逆転劇(3−2)の口火となる日本の1点目を決めたFWで、シュートの名人であることの先輩が相手だと、こちらも直截簡明の口調となる。

“長蹴力があって、ロングシュートの利くオランダと、ドリブルのうまいアルゼンチンが残って、アルゼンチンが勝ちました”
「キックと、ドリブルは基本やからナ」
“ケンペスというストライカーが目覚ましい働きをしました。左利きで、今はやりのオールラウンドというタイプとは違うので、どう評価するか欧州の評論家たちも戸惑っていたところがありました”
「ケンペス…ああ、決勝でも点を入れていた…。あれは部品だよ。ペレやクライフのようなゲームメイカーではない。ただし、立派な、いい部品だ」

 なるほど、“部品”とは、ケンペスのファンには失礼に聞こえるかも知れないが、言い得て妙だなと思った。
 部品、それもとびきり成功で丈夫に作られていて、走り出し、動いているときにボールを受け、ゴール前へ現れれば、自分の得意の左足のシュートのできる位置へ持っていく。その場面では類稀な能力を持っている。
 だからこそ、その精巧で丈夫な部品を働かせるためには、他の部品との組み合わせが大切なのだ。

 この大会の公式ポスターに、青白のアルゼンチン代表のユニフォームを着たプレーヤーが抱き合っている図柄がある。背中を向けている8番と、顔をこちらに向けている人物の2人だが、その顔と特徴ある髭は、明らかにレオポルド・ルーケと知れる。ブエノスアイレスのビッグクラブ、リバープレートの人気FWのルーケは、ドリブルもシュートもうまいセンターフォワード(CF)だが、このルーケとケンペスの組み合わせが、大切だった。
 1次リーグでは、ケンペスをFWに置いた。もちろん合流してから本格的な試合をしていなかったこともあるが、ケンペスの才は十分発揮されたとは言えなかった。
 特に第3戦の対イタリアは、ルーケが欠席して、ケンペスは相手の粘着力のある守りに囲まれて働けなかった。イタリア側は、ケンペスのシュートポジションへの進入を妨げたのだった。

 2次リーグでケンペスが生き生きと見えたのは、その動きを大きくし、後方からシュートレンジへ走り込んでいく形を取るようにしたこと、そしてルーケが戦列に戻り、本来のCF的な位置に入ったことが大きかった。
 そのルーケがセンターバックを引きつけて、どちらかへ少し移動した後のスペースがケンペスにとっての働き場所となった。
 シューターにとっては、自分のシュートするスペースを空けておくことは、ゴールを奪うために極めて重要な要素である。ルーケのプレー(移動も含めて)が、そのスペースづくりに必要だった。
 もう一つ、FWの両サイド、左のオスカル・オルティス、右のダニエル・ベルトーニというウイング役がいたことも幸いした。2人ともライン際でのキープやドリブルもできたから、相手DFの守りを広げ、中央部の隙間を突くことができた。

 対オランダの決勝ゴールは、左タッチのスローイン(ハーフラインから10mほど相手側)から左DFのアルベルト・タランティーニとオルティスのパス交換で相手を引きつけ、そこからオスバルド・アルディレスがドリブルしてペナルティーエリア手前のルーケへ。ルーケは止めて、すぐトウで突くようにケンペスに送った。ケンペスはこのとき、中央より右側にいて、左斜め前へ走り込んできた勢いを生かして、ワントラップしてシュートした。ケンペスに併走したオランダのアリー・ハーンが右足を伸ばすよりもシュートの方が早く、ボールはGKヤン・ヨングブルートの左手側を抜いてゴールに転がり込んだ。
 ケンペスは、プレースキックでも強いボールを真っすぐ蹴ることができたが、走り込んでのシュートとなれば、角度はかなり深い。彼にとっての、まず一番いい角度で蹴れる位置へ入ってきた。
 帰国してからビデオでこのシーンを見直したとき、右のベルトーニが中央部へ入っていたのに気が付いた。アルゼンチンの攻撃陣は全体に左へ寄っていたため、オランダ側の視線は左側(オランダ側からは右)に向けられ、その視線の外からケンペスが表れたと言えた。


(週刊サッカーマガジン 2007年7月17日号)

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