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各地に豊かな施設

 サンチャゴ・ベルナベウ競技場に匹敵するのは、FCバルセロナのノウ・カンプ・スタジアム。スイス人、ジョアン・ガンペールがサッカーをこの市に持ち込むとともに、1899年にクラブを創ったが、90年後のいま、このクラブは会員数が10万をこえ、世界でも、もっとも大きなスポーツ・クラブのひとつとなっている。
 10万人収容の大スタジアムの外側にテニスコート、スケート場、室内体育館を持ち、道路を隔てて別に競技場もある。その室内競技場は92年のオリンピックでは柔道場になる予定。

 FCバルセロナより1年遅れて創設されたエスパニョールは、ノウ・カンプと大通りをへだてたところにサリア・スタジアム(4万収容)を持ち、これも、もちろん、92年のオリンピック会場になる。
 オペラのカルメンで、世界中に名を知られているセビリアにセビリアFCが創設されたのが1905年。この人口60万の町にもうひとつの1部リーグのクラブ、レアル・ベティス・バロンビエがある。それぞれ本拠地のグラウンドを持っていて、セビリアFCの「サンチェス・ビスファン」が7万人、ベティスの「ベニート・ピスファン」競技場は4万7千人。スペイン国内では、カタルーニャやバスクに比べて生産性が低く、貧しいといわれるこの地方でのサッカー施設の立派さは、両チームの1部リーグでの活躍と合わせて、わたしには驚きだった。

 オレンジの産地、コスタ・デル・アスアールと呼ばれる地中海沿岸のバレンシアに、FCバレンシアが生まれたのが1919年、北のバスク地方、ビルバオの東にあるサンセバスチャンにレアル・ソシエダが創設されたのは1909年、ビルバオから200キロ西のヒホンで、スポルティング・クラブ・ヒホンが1906年に創られた。

 こうしたクラブは、それぞれがスタジアムを持ち、練習場を備え、市民に親しまれ、それぞれの地方の象徴として、80〜100年の歴史を積み重ね試合をくりかえしてきた。


(サッカーダイジェスト 1989年4月号「蹴球その国・人・歩」)

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