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マリオ・ケンペス(5)アルゼンチン・サッカーの系譜、ドリブル突破の継承者

 古いサッカー仲間の昼食会が7月14日にあった。当然、アジアカップ、カタール戦の1−1が話題になった。かつての日本代表や東西対抗の西軍メンバーたちの間では、せっかくのチャンスにもう1点奪えなかった残念さや、FKからの失点を惜しむ会話が熱心に交わされた(おそらく、日本中がそうだろう)。私自身は、あのハノイの暑さと湿気の中で、日本代表はいいサッカーをしただけに、もったいないと思っている。

 後半16分に、ペナルティーエリア左サイドからの今野泰幸からのライナーのクロスを、右ポスト寄りで高原直泰が左足ボレーで叩き込んで先制した。
 中村憲剛からのいいスルーパスが今野へ届いたのだが、その直前に左から右へ振り、それをまた日本が取ってと、相手の守りを大きく揺さぶった後での、中村憲からのパスだった。はじめは中央寄りにいた山岸智が動き出したが、取れないとみて立ち止まり、それが相手DFへの一つの牽制となって、左外を走った今野がフリーでこのボールを受けることになったのだった。
 疲れの重なる時期に動きを止めなかったのが生きた。相手が多数で深く守るときには、ドリブル突破も一つの手だが、複数の選手が一つのボールに絡んで生まれるフェイクが(このときは自然のフェイクだろう)大きな効果を挙げることもある。
 かさにかかって攻めて2点目を取れれば言うことはないが、現実にはチャンスに落ち着いてシュートを決める選手は多くはない。
 国内の試合でも代表の国際試合でも、追い越す動きが大切だと専門家たちが強調している。しかし、追い越して、いいポジションへ現れてボールを受けてから、パスを出すのかシュートするのか、それをどのタイミングでするか――といった肝心のところを、選手たちはどれほど練習しているかどうかは定かではない。
 今回のカタール戦のように、こちらが見事なパスワークで攻めて1点を取っても、相手に一人、強烈なシューターがいて、彼の2発のFKのうちの1本で同点にされるということも、サッカーでは起こり得ることなのだ。多くの選手が絡んでチャンスをつくる日本のサッカーでは、より多くの選手のシュート能力を上げなければ、せっかくの努力が“惜しい”で終わってしまう。
 代表の話になると、口数が多くなってしまう。連載のテーマ、マリオ・ケンペスに戻ることにしよう。

 前回はケンペスのドリブルシュートの能力と、それを生かす周囲の協力、特にCF(センターフォワード)のレオポルド・ルーケの動きとパスによる、ケンペスのためのスペースづくりに触れた。
 1978年ワールドカップ決勝の対オランダ戦の先制ゴールがそうだった。
 そして、オランダが同点にして延長に入り、前半15分にケンペスが2点目を奪った。
 今度の突進は、右から左斜めへ流れるのでなく、やや左寄りから直進に近いドリブルだったが、ルーケが左寄りにポジションをとって、ペナルティーエリアを空けていたのが私には印象的だった。ケンペスはオランダの2人のDFの間を突っ切り、GKヤン・ヨングブルードにいったん防がれたが、そのリバウンドを、少し後方へ戻って右足で押し込んだ。
 もちろんオランダ側も、このリバウンドに2人がチャレンジに行ったが、ケンペスの方が早かった。

 アルゼンチンのドリブラーでストライカーといえば、いま人気のリオネル・メッシ(バルセロナ)や、ケンペスより少し若いディエゴ・マラドーナ(86年ワールドカップ優勝)などを思い浮かべる方も多いはず。同じ左利きでも、この2人は背は低く、頑健で、早く、ボールを抱え込む左足の粘着力には感嘆させられる。ケンペスは長身で、ストライドが大きい点がメッシやマラドーナとは違っていたが、ドリブル突破と、その自らの個人能力をいつどこで生かすかというタイミングとスペースの掴み方の巧さは、アルフレッド・ディステファノから今に至る系譜の継承者といえた。
 この78年大会で、彼が目立ったもう一つの特性は冷静さだった。
 激情のあまりにレッドカードを受ける名選手が多いアルゼンチン人のなかでは、カードを出されない珍しいタイプだった。79年に来日したときに私がそのことを尋ねたら、「14歳のときに怒ってファウルし、退場処分を受けた。それ以来、平静に――を心がけている」とのことだった。
 78年大会は、セサル・ルイス・メノッティ監督がアルゼンチン代表にフェアプレーをモットーとさせ、それが優勝への道につながったとされている。ただし、実際にはラフプレーもあり、欧州の記者たちには必ずしも評判は良くなかったが、ケンペスは謙虚さとフェアプレーシップでは別格だった。


(週刊サッカーマガジン 2007年7月24日号)

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