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ゲルト・ミュラー(2)72年W杯、強敵オランダの先制ゴールをはね返して逆転勝利へ

 8月7日に横浜で行なわれた横浜F・マリノスとFCバルセロナの親善試合で、ロナウジーニョをはじめとするバルサ・イレブンの見事なプレーを堪能した。
 良い試合を見せようという選手たちの気持ちと、随所に表れる彼ら個々の“持ち芸”は、シーズン前の仕上がり不十分はあっても、観戦者には値打ちがあっただろう。
 唯一の得点は、ロナウジーニョの長いドリブルの後のヒールパスをエトオがダイレクトでディフェンスラインの裏へスルーパスを送り、飛び出したドスサントスが決めたものだが、大スターの以心伝心の連係プレーによるチャンスメイクも見事なら、新しくトップチームに加わった18歳のドスサントスがGKを前に、タイミングを外して左へかわし、左足シュートを送り込んだ落ち着いた動作にも、ヒザを叩く思いがした。
 日本代表やJリーグの試合では、このところミッドフィールドからチャンスの組み立てに至る過程で上質のパスプレーを見ることが多く、サッカーの快感を味わえるのだが、せっかくの良い組み立ての後のシュートが外れることが多く、不満が残る――のは誰もが感じること。それをドスサントスという18歳の若者が、しっかりと仕上げたのだから……。
 こういう局面での落ち着きは天性のものもあるとしても、やはり彼が、若くてもペナルティーボックス内の“戦場”に現れた経験が多いのだと思う。

 さて、今回の主題は親善試合ではなく、ゲルト・ミュラーの大一番の一つ、1974年ワールドカップの決勝ゴールについての話。
 74年7月7日、西ドイツ(当時)のバイエルン州の州都ミュンヘンの街には、朝から緊迫感が漂っていた。
 6月13日、フランクフルトでのブラジル対ユーゴスラビアで開幕した第10回FIFAワールドカップ西ドイツ大会は、1次リーグ(4チームずつ4組)2次リーグ(4チームずつ2組)を終え、2次A組1位のオランダとB組首位の西ドイツが勝ち残っていた。すでに両グループ2位同士のブラジル対ポーランドの3位決定戦は前日に行なわれ、ポーランドがグジェゴシ・ラトのゴールで1−0の勝利を握っていた。
 開催国・西ドイツは、70年大会3位、72年欧州選手権優勝の実績もあり、開幕前には優勝の声が高かったが、全国民の期待は大きなプレッシャーとなって、1次リーグは出来が悪く、2次リーグに入ってようやく地力を見せたが、その第3戦のポーランド戦は薄氷の勝利(1−0)だった。
 オランダはリヌス・ミケルス監督の新しい“トータル・フットボール”を引っ提げ、主将ヨハン・クライフの卓越した能力を中心に見事なチームプレーを見せて1次リーグを楽々と突破、2次リーグでもアルゼンチンを4−0、東ドイツ(当時)を2−0で破り、前回チャンピオンのブラジルにも2−0で完勝して、決勝へ進出してきた。
 彼らのタフな動き、高い個人技、それをベースにした複数の選手による相手ボール保持者への“囲い込み”とボール奪取、その後に続く攻め込みは、DFがMFを追い越し、MFがFWを追い越すという積極的な動きと、飛び出した穴を誰かが埋めるという動きが、攻守のバランスを保ちつつ、相手に対する大きな破壊力となっていた。
 懸念があるとすれば、攻め込みの迫力の割にフィニッシュが弱いことだったが、世界では決勝の前に、すでに新チャンピオンはオランダと見る者が多かった。ドイツ人でさえ、そうだった。私が泊っていたペンションホテルの主人の問いに「ドイツが勝つだろう」と答えたとき、彼はわざわざキッチンまで戻って奥さんに私の意見を伝えたほどだった。ドイツの勝利を希望しても、それを信じる材料が欲しかったに違いない。

 午後4時開始の試合は、開始80秒後にオランダがPKで先制するという予想外の展開となった。キックオフからボールをキープし、オランダがゆっくりパス交換していたとき、突如としてクライフがドリブルを仕掛け、ベルティ・フォクツを前にして大きな間合いで左へかわし、縦に出てペナルティーボックスに侵入、そこでウリ・ヘーネスのトリッピングで倒された。
 キッカーはヨハン・ニースケンス。この大会でPKを2度決めている彼に対し、GKヨゼフ(通称・ゼップ)・マイヤーは(GKから見て)左に飛んだが、ニースケンスのシュートは正面に真っすぐ飛びこんだ。
 早々と1−0となって、オランダが断然有利――と見るのが当然だったが、不思議なことに、西ドイツがこの後で勢いを取り戻す。オランダ側が嵩(かさ)にかかって攻め込むことをしなかったこともあり、またスタンド全体のうねりとなった「ドイチェランド!」の大声援が、選手たちの背中を押した。
 苦境から彼らは同じPKで同点に追いつき、ミュラーが前半の終り近くに勝ち越し点を挙げるのだった。


(週刊サッカーマガジン 2007年8月21日号)

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