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ゲルト・ミュラー(5)1970年メキシコW杯、ゴールラッシュで得点王へ邁進

 1970年のメキシコ・ワールドカップを控えて、西ドイツ(当時)のヘルムート・シェーン監督には悩みがあった。
「ゼーラーか、ミュラーか…」
 ゼーラーは、58年のスウェーデン大会以来、ワールドカップ4大会連続出場のベテラン。小柄ながら、素晴らしいジャンピングヘッドや闘志あふれるプレーでファンの心をとらえ、ドイツサッカーの象徴的存在。代表サポーターのスタンドでの「ウーベ」の大合唱は、そのまま「ドイチェランド」の意味を持っていた。
 69年はスランプだったものの、負傷回復した33歳の彼をチームに加えるのは当然とみられたが、すでにミュラーもブンデスリーガで68年から3年連続得点王となっていた。
 だが、似たタイプのストライカー2人を抱えた監督の悩みも、ゼーラーが「自分は下がり目のポジションを取る」と決めたことで解決する。ペナルティーエリア内でのミュラーの強さに加えて、ゼーラーの第2列からの飛び出しはたがいにプラスとなり、右のラインハルト・リブダ(またはユルゲン・グラボウスキー)、左のジギー・ヘルト(またはヨハネス・レール)らのサイドからの攻撃も効果を上げ、ミュラーの得点王にもつながることになる。

 16チームを4組に分けた1次リーグの第4組で、西ドイツはモロッコ、ブルガリア、ペルーを破り、3戦全勝で楽々と準々決勝に進んだ。
 第1戦のモロッコには、DFのミスから先制されて0−1で前半を終わる。西ドイツはチャンスは作れたが、モロッコのGKの堅守はたやすくは崩せなかった。そのゴールを破ったのは、ミュラーとゼーラーのコンビ。左サイドのヘルトからのパスを、ペナルティーエリア内でミュラーが相手を背にしつつ短くつなぎ、これをゼーラーが決めた。
 2点目はミュラー。右からのクロスの折り返しのヘディングが、バーに当たって落ちるところに彼がいた。これがミュラーのワールドカップ初ゴールで、リアクションの速さを証明、自分らしさを見せた彼のゴールラッシュが始まった。

 2戦目のブルガリアにもFKから0−1とされる。しかし、リブダがドリブルで持ち込んでシュートし、GKはいったん止めたが、体の下からボールがこぼれるようにゴールラインを割って同点。2点目もリブダから。ドリブルでペナルティーエリア内に持ち込み、中への速いクロスを、ミュラーが右足ボレーで合わせて決めた。DFの視野から消えていて、突如として飛び出してくるミュラーをブルガリア側はとらえることができない。もちろん、それはリブダの切り返しの多いドリブルにDFの目が引きつけられるのも原因だが――。
 後半、そのリブダのドリブルを相手が反則で倒してPK。これをミュラーが右足で左へ決めて3−1とする。4点目は左へ動いてボールを取ったミュラーが速いクロスを送ってゼーラーが決めた。次の5点目は、右サイドのFKからミュラーがファーポストでヘディングして決めたものだった。

 ミュラーの強みは状態のひねりを生かして遠くへ強いヘディングシュートを送り込むことで、その5点目もボールがGKを越え、右ポストの内の上隅へ入った。大会での彼の初のハットトリック。ブルガリアはこの後、1点を返すのが精いっぱいだった。

 3戦目のペルーは、すでに2勝していた。エクトル・チュンピタスやテオフィロ・クビジャスらがいて、ブルガリアには逆転勝ち、モロッコには完勝していた。この試合でも前半終了間際にクビジャスがゴールを決めた。しかし、西ドイツはそれより先にミュラーが一人で3点を挙げて勝負を決めてしまった。
 1点目は、またもやリブダ―ミュラーのライン。右からのクロスを胸で落とし、シュートをゴール右下隅へ。
 2点目はレールがペルー陣内を深くドリブルで食い込んでパスを送ってきたのに走り込み、左足のダイレクトで決めた。左右どちらの足でも決めることのできる彼らしい2ゴールの次は、ヘディングでの3点目だった。ゼーラーが右サイドを突破し、ペナルティーエリアのすぐ外からファーへクロスを送ると、ミュラーは高くジャンプしてゴール右上隅へ決めた。
「ヘディングシュートはゴールラインに叩きつけるのが原則」という奇妙な理論があって、試合でGKの足もとへヘディングして防がれると、「原則でした。いいプレーだが惜しかった」といったコメントがときどきあるが、ミュラーのジャンピングヘッドの軌跡を見ると、「足もとへ…」の原則は果たしてあるのかと思ってしまう(釜本邦茂のヘディングも同様、長く高いボールがゴールに吸い込まれるのを何度も見た)。
 準々決勝の相手はイングランドだった。
 この4年前にウェンブリーで、ゼーラーをキャプテンとする西ドイツが決勝で、延長の末に敗れた相手だった。


(週刊サッカーマガジン 2007年9月11日号)

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