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ゲルト・ミュラー(6)イングランド戦で決勝点、イタリアとの死闘では2得点、計10ゴールで得点王に
ボビー・ムーアがいた。アラン・ボールも、ボビー・チャールトンも、“ハットトリック”を演じたジェフリー・ハーストも、そしてマーチン・ピータースもいた。
1970年6月14日、ワールドカップ・メキシコ大会準々決勝。レオンのグアナフアト・スタジアムに現れたイングランドの代表を見て、西ドイツ(当時)のサポーターたちは4年前を思い出しただろう。
66年7月30日の、あのウェンブリーでのワールドカップ決勝で、西ドイツ代表は延長の末、イングランドに2−4で敗れた。そのときのメンバー5人が、この日の西ドイツのスターティングリストに入っていた。ここまでの試合ぶりは、イングランドはグループリーグ3組で2勝1敗、得点2、失点1。ブラジル戦での敗戦(0−1)も互角の試合で、勝ってもおかしくないと言われた。一方の西ドイツは3戦全勝、得点10、失点4と、攻撃力が目立っていた。その攻撃力でチャンピオンをねじ伏せてほしい――ドイツの人々はそう願っていた。
なにしろ西ドイツは、長い間、イングランドには勝てなかった。
1901年にドイツ代表がイングランドへ初めて“遠征”して以来のことで、あの54年ワールドカップ優勝チームでさえウェンブリーで敗れ、66年大会決勝では、今も判定に疑問の残るゴールで悔しい思いをしている。68年6月の、ハノーバーでの1−0の勝利は、イングランドのメンバーが不揃いであったという事情もあった。だから、今度の大会ではぜひ、ジンクスを吹き払ってしまいたいところだった。
対西ドイツに自信を持つイングランド側に気がかりがあるとすれば、“世界一のGK”ゴードン・バンクスが試合直前に体調を崩し、ピーター・ボネッティに代わったことだった。このチェルシーの28歳のGKは、ずっとバンクスの控えだった。
出だしからイングランドは積極的だった。31分にアラン・マレリーが中央から右へ長いパスを送り、右DFのキース・ニュートンが持ち上がって低く速いクロスを送ると、そこへマレリーが走り込み、DFの鼻先で合わせた。
50分にもニュートンのクロスを、左から走り込んだピータースが決めた。66年以来、“ウイングなしで、そのスペースを誰かが埋める”(監督の)アルフ・ラムゼー流、そしてイングランドらしい展開の大きいゴールで、スタンドで見守る人々の多くは「勝負あり」と見た。
しかし、西ドイツはひるまない。フランツ・ベッケンバウアーがドリブルで持ち上がり、マレリーをかわしてシュートし、右ポストぎりぎりに決めた。イングランドのサポーターは「バンクスだったら防いだ…」と思ったかもしれない。
疲れの見え始めたイングランドを、西ドイツが攻める。ゲルト・ミュラーが反転プレーで相手DFを悩ませる。
ラムゼー監督は70分にチャールトンに代えてコリン・ベルを送り、その10分後にはピータースをノーマン・ハンターに代えた。西ドイツはラインハルト・リブダに変わったユルゲン・グラボウスキーのドリブルが冴える。
押し込まれれば、ミスも出る。弱いクリアを拾った西ドイツ側のロブ(高いボール)をウーベ・ゼーラーが神業のようなバックワードヘディング。ボールはゴールに吸い込まれて2−2。
4年前と同じく、延長に入った。
イングランドにもチャンスはあった。しかし、シュートは決まらない。“ウイングレス”のスペースを埋めようと、運動量の多くなったイングランドのサイドバックの疲れは大きく、西ドイツのサイドからの攻めがそこを突く。右のグラボウスキーがドリブルで持ち込んでクロスを送る。ファーポスト側からヨハネス・レールがヘッドで大きく折り返す。右ポスト側にはミュラーがいた。強烈なボレーシュートは3点目となった。ゴール前での、ここという場所に、ここぞというときに現れ、的確にフィニッシュ――ミュラーの十八番(おはこ)が宿敵を倒し、西ドイツはベスト4への道を拓いた。
準決勝の対イタリアは、さらに苛酷な戦いとなった。90分を終わって1−1の後、延長に入って西ドイツが2点、イタリアが3点。シーソーゲームの末、西ドイツは敗れた。0−1の劣勢を変えようと、ベッケンバウアーがドリブルでペナルティーエリアに迫ったとき、ファウルで倒れて右肩を脱臼したのが大きかった。肩から包帯で右腕を吊って走る彼の姿は感動的だったが、明らかに大きなハンディとなった。イタリア流の計算だったという見方もある。
こうした激闘の中でもミュラーのゴール奪取は続き、延長前半4分に相手DFジャチント・ファケッティが処理をミスしたボールを押し込んでチームの2点目(2−1)、右CKをファーで折り返したゼーラーのヘディングに合わせたジャンピングヘッドで3点目(3−3)を挙げた。
西ドイツはボルフガング・オベラートのゴールでウルグアイを1−0で破り、3位に。ミュラーは計10ゴールで得点王という、国際舞台での大きな“勲章”を得たのだった。
(週刊サッカーマガジン 2007年9月18日号)