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サッカー 故里の旅 第11回 猛牛のたくましさと精緻なボールテクニック ストイチコフの突破シュート

「ストイチコフの突進はすごい。猛牛のようなたくましさと、精緻なボールタッチ、それにフィニッシュのタイミングのうまさとその瞬間の冷静さ――天賦の才を磨き上げたストライカーの魅力がここにある」

 96年6月14日朝、わたしはマンチェスター空港駅からリバプールへ向かう列車の中で、前日の試合のメモを読み直していた。
“EURO96”の1次リーグは各組2回戦に入り、13日にバーミンガムでA組のオランダ−スイス(2−0)、ニューキャッスルでブルガリア−ルーマニア(1−0)が行なわれ、14日はリバプールでC組のチェコ−イタリア、ノッティンガムでD組のポルトガル−トルコが予定されていた。
 そのチェコ−イタリアのカバーのため、わたしは早朝にニューキャッスルを出て、マンチェスター空港駅発9時17分の列車に乗ったのだった。


開始3分のドリブルシュート

 前日、午後4時30分からのブルガリア−ルーマニア戦は、キックオフ時に気温17度。しばらく暖かい日が続いて、いささか油断して薄いジャンパーだけのわたしは、日暮れとともにやってきた冷え込みに閉口したが、選手たちには適当だったろう。バルカン半島の隣国同士の戦いは、まことに見ごたえのあるものだった。
 94年W杯ベスト8のメンバーをずらりと並べたルーマニア(第8回参照)に対してブルガリアもストイチコフをはじめ94年W杯ベスト4のメンバーがそろっていた。第1戦でフランスに敗れたルーマニアは、この試合を落とせば2敗で第2ラウンドへ進出の望みはなくなる。ブルガリアのキックオフではじまったあと、DFラインを前進させて中盤を制庄しょうとした所に彼らの意欲が感じられたが、そのルーマニアの出バナに一撃を浴びせたのがストイチコフ。
 前半2分、自陣のFKから、左サイド寄りでボールを受けたストイチコフは、相手守備網の穴を中央に見出すと一気にドリブルしてシュートをきめてしまった。前述のメモはこのプレーの見事さについてのもの。


ゴール前の空間へのアプローチ

 このシーンを分解すると、
(1)ストイチコフがバラコフからのポールを足元で受けたとき、外から中への彼のゆっくりした移動に、相手DFは、少し距離を置いて警戒。
(2)前方の仲間ペネフが中央から外へ走る。彼をマークする相手CBが移動して、ゴール正面に記者席からみてもポカッとスペースが生まれる。
(3)左足でボールを受けたストイチコフ、彼の左手側から相手のリベロ、ベロデディチが近づく(まだタックルの間合いではない)。その接近ぶりは彼の左足を警戒し、左外へ逃げられる場合と、内側(ゴール正面)へ彼が動く場合との両方をにらみながらの感じ。
(4)ベロデディチの接近に対して、ストイチコフは左足を小さく動かしてフェイント、これで相手の動きが止まった瞬間に右斜め(ゴール正面)への突進がはじまった。
(5)一瞬、スタートの遅れたベロデディチが追う。
(6)ストイチコフは右斜めへ走り出し、左足アウトでのボールタッチで(ボールに回転を与え)自分の右前にころがろうとするボールを、左足の前へ。自分も右足で強く地面を蹴って、コースを修正。
(7)6回のボールタッチでボールを左足の前へ持ってゆくとともに自分の走るコースも、追走するベロデディチのコースへ、右から斜めに左へ横切るようにもってゆく。
(8)ベロデディチと腕はふれたがストイチコフのバランスは崩れず、そのままコースをとり、右手側から接近する相手の左DFセリメシュのタックルより早く、左足でキック。
(9)インステップというょりトゥ(足先)に当たったボールは、真っすぐゴール右下へ転がりこんだ。


6年前の1シーズン38得点

 彼がボールを止めてから、走り出し、ドリブルシュートを決めるまで4〜5秒間の短い問だから、この詳しいメモは試合後テレビで確認してからのものだが、このゴールは94年W杯の得点王(6ゴール)に輝く彼のキャリアの中でも特筆もののひとつ。
 92年のトヨタ杯で彼が挙げたバルセロナの先制ゴールも見事だったが、このときは相手DFを突破するのでなく、サンパウロのDFの接近の遅いのを読んで、蹴ったミドルシュートだった。FKもドリブルシュートも定評ある彼だが、その知力、体力、技術のすべてを発揮したこのシュートを見たのは幸いなことだった。
 彼が左足のアウトサイドでボールに回転を与えながら、自分のシュート位置へボールを(それも疾走しながら)運ぼうとする場合のスロービデオ(ゴール裏からの)はイングランドや日本のサッカー少年たちに見てほしいシーンだった。
 このゴールはルーマニアを気分の上で追いこみ、ブルガリアDFの守りを強めた。ルーマニアには31分のムンテアーヌのバーの下を叩くシュートがインゴールに落ちたのをレフェリーが見逃す不運もあって大会を去ることになる。その点では気の毒だったが、ブルガリアにとっては94年W杯に次いで、96欧州でも上位をめざすステップを重ねたことになる。

 94年W杯は“弱小”ブルガリアのレベルアップを示したが、ストイチコフの存在が大きかったのはいうまでもない。それは、1968年のメキシコ五輪の日本の鋼メダルでの釜本邦茂と同じといえる。
 そのストイチコフはいま30歳。彼が欧州で名をあげたのは、その6年前の89−90シーズン、ブルガリア・リーグで38得点したときだった。
 2002年のストライカーは6年前のいま、どこにいるのだろうか。
 マンチェスターのピカデリー駅をすぎ、スピードの速くなった列車の中で、わたしは次代のストライカーを思うのだった。


(サッカーマガジン掲載)

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