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サッカー 故里の旅 第13回 ライオン・ハートかブレイブ・ハートか 伝統の一戦に沸くブリテン島

 どうやら間に合った。まだ、点は入っていないらしい。と、ホッとひと息つく。96年6月15日土曜日の午後4時、わたしはウエンブリー・スタジアムの記者席、ノースグランド・スタンドの201ブロック、その19列の29番のシートに、ようやくたどりついていた。
 すでに前半は終わり、ハーフタイムもすぎて、後半が開始されるところだった。
 よりによって、こんな大事な日、伝統のイングランド−スコットランドを開始前のセレモニーから見ることができず、後半だけとは……。

 前日の6月14日リバプールのアンフィールド・スタジアムで1次リーグC組のイタリア−チェコを取材した。この日はリバプール−ロンドンを往復する予定で、午前9時すぎにホテルを出て、ライムストリート駅についた。そこで9時45分発のインターシティーに乗ればよかったのに、考えごとをしている間に列車が出て、1時間後の10時45分発に乗ることになった。普通なら、午後1時47分にロンドンのユーストン駅について、午後3時のキックオフには間に合うハズだったのに、途中で事故があって1時間20分も到着が遅れたのだった。
 記者用のチケットは、市中から、ウエンブリーの係に電話をして、試合が始まっても、必ず受け取りにゆくから――と頼んでおいたとおりキープしていてくれたが、さすがに伝統の一戦だけに記者席もギッシリ。イスから立ちあがって通してくれる前を「サンキュー」「ソーリー」を連発しつつ進むのが大変だった。


起源はなんと1872年

 スコットランドは18世紀にイングランドと合併し、ウェールズや北アイルランドとともに現在のグレートブリテン連合王国を形成するのだが、映画「ブレイブ・ハート」で見るとおり、古くから強大なイングランド王国に対抗し、独立をつづけできたところ。いまも自治の形をとる。
 スコットという名は、5世紀ごろにアイルランドからやってきたケルト人の一部種、スクイトに由来するとか。ブリテン島の南東部のアングロ人とは別のケルト人の国ということになる。
 そうした歴史的背景から、ひとつの国となったいまでも、イングランドへの対抗意識は非常に強い。とくにサッカーやラグビーはイングランドとは別の協会を持ち、国際的にも別個の国(地域)として認められている。サッカーの場合は、1863年にロンドンにFA(フットボール・アソシエーション)が誕生してルールの統一をはかってから、10年後にグラスゴーにスコティッシュFAが設立され、その前年からはじまった、イングランド−スコットランドの対抗試合で、イングランドを倒すことに情熱を燃やしてきた。

 1989年に対戦がストップしてから、7年間行なわれていないが、1872年(明治7年)11月30日の第1回(0−1)以来、117年間に107試合し、スコットランド40勝、イングランド43勝、24引き分け――ほぼ互角の成績は、面積13万平方キロ、4700万の人口を持つイングランドにくらべ、面積はその6割の7万7179平方キロ(北海道より少し小さい)、人口は1割強の500万人というスコットランドの“国力”を考えればまことにすばらしい。彼らのサッカーへの傾倒ぶり、イングランドへの対抗意識がそこに見える気がする。
 事実、対抗戦の初期はスコットランドの方が優勢だった。ドリブルで突進し、シュートするか、取られるかといったイングランドに対し、スコットランドはボールを短くつないで攻め込む「スコティッシュ・プッシュ・アンド・ゴー」、いまでいうショートパスを考案していた。


バスビーやシャンクリーも

 19世紀の終わりにプロフェッショナルが導入され、やがて経済的に豊かなイングランドへ多くのプレーヤーが吸引される。そしてまたスコットランドは多くの名選手、名監督を生んで、サッカー発展に大きな力となった。あのマンチェスター・ユナイテッドを欧州一のチームに育てたマット・バスビーや、リバプールの60年代−70年代の栄光を築いたビル・シャンクリー監督もスコッチだといえば、スコットランドとイングランドとのかかわりの深さが知れる。


ホクホクのブックメーカー

 もっとも親しく、もっともライバル意識を燃やす対戦に、スコットランドからキルトをつけたサポーターが南下し、前日の夜遅くまでロンドンのトラファルガー広場はスコットランドの若者たちでいっぱい。ロンドン警視庁は100人を臨時に動員して騒動にそなえたという。
 なんでもカケの対象になる英国、ましてフットボールプールの本場だから、この伝統の一戦に手ぐすねひいているのが、ブックメーカー。ラドブロック社は、この試合だけで800万ボンド(13億3600万円)のかけ金が集まるとみており、コーラルというブックメーカーは、かつての名選手の予想入りの全面広告で、この大試合のカケへの参加を呼びかけた。
 コンピューター時代のおかげで、カケもこれまでのどちらが勝つかだけでなく、誰が先に得点するかもあって、アラン・シアラーのファーストゴールならカケ率7−2。
 もっと複雑に、ガスコインのファーストゴールでイングランド2−0の勝ちは、カケ率1−66というのもあった。そしてその呼びかけは――Who will it be? Lion Hearts or Bravew hearts? (ライオン・ハートか、ブレイブ・ハートか)
 白シャツにブルーのパンツのライオン・ハートと、紺の上下のブレイブ・ハートが入場した(45分の熱闘はこの次に)。


(サッカーマガジン掲載)

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