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W杯のビューティフル・ゴール

 彼らが1次リーグを戦ったF組の会場はモンテレー。平地であるために高度の影響はないかわりに気温が高く、40度の猛暑。モロッコ代表は、彼らの開幕試合ともいうべき対ポーランド戦を0−0の引き分けで切り抜け、第2戦の対イングランドも0−0で引き分けた。
 守りを厚くしてカウンターを狙う4−5−1の布陣で、一人ひとりのボールテクニックや動きのスピードでポーランドやイングランドよりもボールを持つ時間が多く、守りも安定していた。イングランドは第1戦でポルトガルに0−1で敗れたため、モロッコから勝利を奪おうと意欲を見せたが、エル・ビアズとブヤシャウィの二人のCBとGKエザキの守りは固く、41分にはウィルキンスが退場処分になって、後半は10人で戦うことになってしまった。数の上でも優位に立ったモロッコだが、あえて危険を冒さず、2試合目も引き分けで決勝トーナメント進出への足場を築くだけだった。

 そのモロッコが第3戦に見せた攻撃はまことに素晴らしかった。
 相手ボールを奪うと、ゆっくり中盤で回すというこれまでのスタイルから、ゆったりボールを回すと見せて、いっきに攻め込んでいく。あるいは短いバスをかわしながら、ある瞬間に誰かがドリブルで突進する。相手の守りにスペースが生まれると、ロングパスを送り込む。
 最初の得点はハイリーが左サイドから中へドリブルし、20メートルのロングシュートを右足で決めたもの。低いライナーで左ポストぎりぎりに飛び込むビューティフル・ゴールだった。
 2点目は中盤でゆっくりキープしてから右前方へロングパスを送り、トップのA.メリーがこれをバックパス。右FBのラブドが左のオープンスペースへ長いロブを送ると、落下点へ走り込んだハイリーがペナルティエリアの外から左足で落ち際を叩いた。

 二つのビューティフル・ゴールを決められたポルトガルはフットレを軸に攻め込むが、厚い守備網を崩せず、攻めに気をとられてマークが甘くなったスキをつかれて3点目を奪われた。

 1986年6月17日、モンテレーで午後4時から行なわれた決勝トーナメント1回戦、モロッコ対西ドイツは、アフリカ人にとって初めてワールドカップでベスト8に進めるかどうかの歴史的な試合であり、“世界に冠たる”西ドイツにとっては、どんなに辛くても突き進まなければならない道だった。
 例によって守りを厚く、中盤にも人を多く配したモロッコは、柏手の攻めの起点からじわりと包囲し、難しいパスを受ける相手トップへのマークも密にしてボールを奪う。奪ったボールは中盤でキープする。ボールを取ったからすぐに攻め込むのではなく、大きなスキができるまではボールを回して待つ。無理をしないから相手の守りにスキはできない。でも、キープし続ける。いわば時間を稼ぎ、相手をイライラさせ、体力の消耗を待つ。地中海ぞいのモロッコ人にとっては、暑さはやはり響くけれども、ドイツ人に比べれば、なにしろアフリカ育ちだから日射しに対する抵抗力が違う。
 まるで砂漠での塹壕戦のようだ――と感じたほど、暑さと、耐える精神との戦い。サッカーというよりも心理戦のようでもあった。

 もっとも、相手に取られないようキープするというのは、それだけの技術や身のこなしや、戦術眼がなくてはならない。
 しかし、攻めないで相手の疲れを待ち、延長に持ち込んでケリをつけよう――という狙いも、ただ1回のミスで崩れる。FKのときのカべの作り方が悪く、それを狙ったマテウスのシュートがゴールに飛び込んだ。飛来するボールをGKエザキが発見したときは、すでに手遅れだったろう。

 モロッコが西ドイツとワールドカップで戦うのは、このときが2回目。1970年、やはりメキシコで大会が開かれたときにも対戦し、西ドイツを苦しめている。
 70年メキシコ大会は、円熟期のペレを軸とするブラジルの優勝で、サッカーの楽しさが蘇った大会だった。このときのモロッコはアフリカ新興国の初陣として注目され、1次リーグで前回準優勝の西ドイツと戦い、先制ゴールを挙げて前半を1−0とリードした。55分にウべ・ゼーラーが同点ゴールを決めるまで、西ドイツの首脳陣も気をもんだことだろう。ゲルト・ミュラーのゴールで2−1となったが、モロッコの、この果敢な先制点は「さぐり合い」の多い大会序盤戦のなかで、エキサイティングなニュースだった。彼らは第2戦でクビジャスのいるペルーに0−3で敗れたが、グループ予選の最終戦でブルガリアと1−1で引き分けている。


(サッカーダイジェスト 1991年7月号より)

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