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ブラジル人監督とティムーミ

 選手のレベルアップは代表チームだけでなく、クラブにも表われる。85年のFARラバトのアフリカ・チャンピオンズ・カップ優勝だ。ブラジル人のホセ・ファリアが1984年にFARの監督に就くと、その年にはモロッコのチャンピオンとなり、翌年はアフリカ・チャンピオンになった。
 代表チームの監督も引き受けたファリアは、FARをはじめ国内リーグと海外流出組との合同チームを編成。これら代表選手は1月から86年の大会終了まで監督の指導の下に置くことを協会に要請。モロッコ選手権も、各クラブは代表選手抜きで戦うことを約束させられた。

 こうして周到な準備の後に代表チームを一つにまとめ上げたのだが、今回はヨーロッパのクラブで経験を積んだ者がいた。例えば、ストライカーのA・メリー(バランシエンヌ=フランス)は、かつてバスティーユにいたころUEFAカップでイングランドのニューキャッスルと戦い、勝ったことがある。したがって、イングランドの選手のスタイルやテクニックも、ある程度は知っているというわけだ。
 GKのエザキや右サイドから攻めるエル・バダウィー、ゲームメーカーのティムーミ、ブデラパラ、CBエルビアズといった選手は働き盛りの26〜27歳。そしてストッパーのブヤヒャウィ、ストライカーのA・メリー、DFラインの前方でスイーパー役を務めるドルミーといった30歳を超えるベテランとの組み合わせが良かったのも、相手に応じて戦法を変えることのできた原因だろう。

 アフリカの最優秀選手に選ばれたティムーミ(1985年)エザキ(1986年)は、さすがにタレントとして申し分ない。ティムーミは黒人で長身。速くて強く、ドリブルもシュートも巧みだった。GKエザキはアラブ系で、状況判断とハイ・ボールへの反応はパーフェクトに近かった。
 1964年の東京オリンピックのときに、初めて世界の檜舞台に登場したモロッコ。国の歴史は古く、サッカーもまたフランスによって啓発されたといっても、近代国家として独立してからまだ40年のモロッコが急速にレベルアップした航跡は、私たちにも参考になることが多いのではないか。ワールドカップを開催しようという彼らの熱意に敬意を持ちながら、昔からのベルベル人、7世紀からのアラブ人、ヨーロッパ人と複雑な民族構成と政治のなかで、モロッコのサッカーがどのように発展してゆくのか――。
 同じ東京五輪で、初めてサッカーの“文明開化”が始まった日本に住む者として、私たちから遥かに遠い「地の果て」の国の同士たちの今後を見守り、勉強していきたい。


(サッカーダイジェスト 1991年7月号より)

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