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マルコ・ファンバステン(3)フリット、ライカールトとともに“オランダトリオ”としてミランの中核を担う

 マルコ・ファンバステンが、アヤックスでの151得点(171試合)と、オランダリーグ(エールディビジ)での得点王4回、欧州ゴールデン・ブーツ賞の業績を背に、セリエAのACミランに移ったのは1987年、22歳のときだった。
 イタリア北部の大都市ミラノを本拠とするこの名門クラブは1950年代に、スウェーデンのグンナー・グレン、グンナー・ノルダール、ニルス・リード・ホルム(いずれも1948年ロンドン・オリンピック優勝メンバー)のトリオの活躍で第2時世界大戦後の黄金期を迎え、60年代にもジャンニ・リベラやジョバンニ・トラパットーニ、チェーザレ・マルディーニ(パオロの父)たちの活躍で輝いたが、80年代には2部に落ちたこともあり、経営的にも困難になった。しかし80年代後半にシルビオ・ベルルスコーニ会長のもとで再興に向かう。
 メディアを操り、財力もあり、チーム強化の意欲の強いこの会長は、プロの実績もなく、有名でなかったアリゴ・サッキを監督に置き、かつてのグレ・ノ・リ時代(スウェーデンの3人の名を組み合わせた)の栄光にならって、オランダの3人、ファンバステン、ルート・フリット、フランク・ライカールトをチームに加えた。

 イタリアでは、60年代のインテル・ミラノのカテナチオ(かんぬき)作戦以来、伝統的に守備重視が常識となっていた。サッキ監督は、そのリベロを置く硬い守りと同時に、オランダのトータル・フットボールの考えを取り入れ、ディフェンスラインの押し上げによる中盤のコンパクト化と、高い位置でのボール奪取、といった、攻撃的な展開を図った。
 フランコ・バレージという最高のリベロを持つディンスラインの前進、後退の駆け引きと、巧みなオフサイドトラップは、相手を困惑させ、またライカールトの深い位置からのパスと、長走の攻め上がり、フリットのドリブル突破のパワーとパスのセンス、そしてファンバステンのゴール奪取力が、チームに大きな活力をもたらした。
 相手のディフェンスラインへ飛び出す速さとともに、ボールを受けてからの処理のうまさと、仲間へのパスはファンバステンのシュート力とともに、チームの組織力をも高めた。

 サッカーはボールを扱う技巧的な協議であるとともに、短距離ダッシュの繰り返しと、マラソンのように休みなく足を動かす競技でもある。もちろん、格闘技の要素もある。したがって、体格の良いことは、一つの条件ではあるがラン・プレーや素早い反転、身のこなしの“しなやかさ”などの必要性から、長い間、大男、あるいは長身プレーヤーはむしろ珍しがられていた。
 イングランドでも、60年代までは「シックス・フーター(182.8cm位)」という言葉があったほど、183cm以上の選手は特別な目で見られていた。昔の日本流に言えば、6尺豊かな大男とでも言うのだろう。66年のワールドカップ優勝の地元イングランドでも、センターバックのジャッキー・チャールトンがそれにあたるだろうし、同じ大会ではポルトガルには、ジョゼ・トーレスというノッポのセンターフォワードがいて、ヘディングが彼のアクセントとなっていた。こうしたこれまでのシックス・フーターに比べると、オランダ3人は技術も、走力も、身のこなしもそろっているという点でも画期的と言えた。
 ただし、こうした彼らにも弱点はある。それは負傷――。サッカーに故障はつきものだが、大型プレーヤーが足を痛めた場合、その大きさゆえに、下半身に負担がかかり、回復にも時間がかかる。日本で、最初のシックス・フーターのストライカー・釜本邦茂の選手生命が長かった最大の理由は、ケガが少なかったことが挙げられる。

 ファンバステンは、ミランへ移った最初のシーズン(87−88)は足首を痛めて、リーグで11試合(3得点)カップ戦5試合(5得点)に出場しただけだった。  1988年6月12日、ケルンで行なわれたヨーロッパ選手権1次リーグ第2組のオランダ代表の第1戦、対ソ連のスターティング・ラインアップにはファンバステンの名はなく、控えのリストに入っていた。
 ライカールトと、ロナルド・クーマンをセンターバックに、ベリー・ファンアーレ、アドリー・ファンティヘレンを両サイド、ジェラルド・ファンネンブルグ、ヤン・バウタス、アーノルド・ミューレンのMFに、フリット・ジョン・ボスマン、ジョニー・ファントスキップの3FWを配したオランダは、ソ連の巧みな守りに引っ掛かって苦戦した。途中でファンバステンがファンネンブルグに代わって投入されたが、挽回できずに0−1で敗れた。
 クライフ時代に果たせなかった欧州のタイトル奪取を狙うミヌス・ミケル監督の新しいオランダが、初戦の暗雲を払ったのが6月15日、デュッセルドルフでの対イングランド戦だった。ファンバステンはスタートからフリットとともに2トップに起用され、3ゴールを挙げ、3−0の完勝を勝ち取った。そしてこの大会で彼はその名声をゆるぎないものにすることになる。


(週刊サッカーマガジン 2007年10月30日号)

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