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マルコ・ファンバステン(5)因縁のミュンヘンでオランダ初優勝の祝砲

 1988年6月21日、ヨーロッパ選手権準決勝で宿敵西ドイツをハンブルクで破って、オランダ中が浮き立った。
 70年代にヨハン・クライフとアヤックスがヨーロッパのクラブ王者についた。フェイエノールトもそうだった。アヤックスは、バイエルン・ミュンヘンをチャンピオンズカップ(現・チャンピオンズリーグ)で粉砕したこともあった。しかし、ナショナルチームの戦いで、オランダは世界でも、ヨーロッパでもナンバー1になれなかった。西ドイツに阻まれたためだった。

 ハンブルクでも、やさしい試合ではなかった。54分にローター・マテウスのPKでリードされ、なかなか追いつけなかった。73分にPKで同点にしたが、マルコ・ファンバステンと競り合ったユルゲン・コーラーのタックルは、ボールにいっていて、「判定に疑問が残る」と書いた記者もいた。フランツ・ベッケンバウアー監督も「このPKは西ドイツにはとても不運なもの」と言っていた。
 もっとも彼は、「とは言っても、オランダは勝利に値する立派なチームだった」とオランダを称えた。西ドイツにとっては、試合の直前にピエール・リトバルスキー(現・福岡監督)が胃痛で調子を崩したのも影響していた。守りでは、相手のパスの起点の一つ、ルート・フリットを抑えようとし、ある程度は成功したが、そちらを警戒するあまりにファンバステンにスペースを与えたのが響いた。
 それが“不運”のPKの原因となり、そして、88分の決勝ゴールとなった。
 前号でも触れたが、ファンバステンの特色の一つに、リーチの長さがある。左右両足からシュートが打てる上に、利き足の右はリーチがある。これは、どの選手にも言えることだが、ファンバステンは体の大きさを生かして、自らの左側から相手の妨害を受けても、その足の届かない位置でボールを蹴る。もちろん、それはヒザの強さ、立ち足の強さもあるが、マーク相手のコーラーにとって、ファンバステンが(自身の)右にスペースを見つけてボールを受けるとき、そのシュート動作を食い止めるのはとても難しいことになる。近頃の日本にも、長身のストライカーが育ってきているが、利き足でのリーチの大きさという、長身者特有の利点を生かせているかどうか――。

 決勝の相手ソ連(当時)には、グループリーグの初戦で敗れた苦い経験を持っていたオランダだが、今度は違っていた。ケガによる長い欠場から、回復途上にあったファンバステンが、その真価を発揮しはじめていたからである。
 フランク・ライカールトという攻守兼備の軸があり、DFであって強いシュートと、その巧みなキックのパスで知られるロナルド・クーマンもいた。兄のエルウィン・クーマンもチームに合ってきた。
 黒い髪をなびかせるフリットの躍動感あふれるプレーは、そのドリブルと、不思議なターンや意表を突くタイミングで送るパスと、放たれるシュートでスタンド全体、テレビ観戦者を惹きつけた。
 そして、彼らに相手の目が集まったときにファンバステンにボールが出て、人々は、そこにもう一つのキーがあることに気が付く。オランダのEURO88の戦いぶりは、まさに驚きと楽しさの連続で、そのフィニッシュをファンバステンがしっかり締めくくった。

 6月25日のミュンヘン・オリンピックスタジアム。リヌス・ミケルス監督にとっては14年前に信じがたい敗北を喫したそのピッチは、祝宴の場となった。
 32分に右CKからチャンスが生まれた。E・クーマンが蹴り、いったん防がれて戻ってきたボールを、左足ダイレクトで高いボールを送った。バックラインを上げようとしたソ連側の動きを見ながら、ペナルティーエリア内、中央、やや左側にいたファンバステンがこのボールをヘディングし、右へ振り、フリットが決めた。テレビのリピートでは、E・クーマンが大きく左へクロスを送った瞬間に、戻りはじめていたフリットがターンするところ、そのフリットの前へファンバステンがヘディング、ボールを落とすところ。両選手のスケールの大きいヘディングの折り返しと、それを叩き込むヘディングシュートを描き出している。
 そして53分、アドリー・ファンティヘレンから左のアーノルド・ミューレンにパスが通り、ミューレンは大きく右へ高いボールを送った。ファーポストから、かなり離れたところにファンバステンがいた。落ちてくるボールを、彼は右足でボレーシュートを決めた。
 大きなクロスを相手DFの接近を感じながら叩いたボレーは、名GKリナト・ダサエフの伸ばした右手の上を越え、ゴール左上に突き刺さった。ボールを高い位置でとらえ、文句のない強さとコースのシュートを送り込んだ。このボレーシュートとともに彼の名は長く記憶に残ることになる。


(週刊サッカーマガジン 2007年11月20日号)

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