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マルコ・ファンバステン(6)歴史に残るボレーの中で、最も輝くファンバステンのゴール

 マルコ・ファンバステンのこれまでの5回の連載で、彼の輝かしい記録、その生い立ちとEURO88でのスーパーゴールを紹介してきた。
 このあと彼はミランでの欧州クラブ・ナンバーワンと、トヨタカップ(現・クラブワールドカップ)を制しての“世界一”というクラブでの成功があり、90年ワールドカップでの不振、復調した92年欧州選手権(準決勝で敗れる)といったオレンジ(オランダ代表)でのプレーを、私たちの前で披露してくれるのだが、今回は彼の看板ともなったボレーシュートそのものについて考えてみたい。

 VOLLEY SHOOTのVOLLEYを昔はヴォレーとカナで書いた。今はVの発音をヴとは表記せずボレーで通るが、面白いことに「ボールを地面に落とさないで打つ(蹴る)」を、テニスやサッカーではボレーと言い、地面へ落とさない集団球技「VOLLEY BALL」はバレーボールと言っている。SOCCERをサッカーとするか、ソッカー(慶大体育会ソッカー部という固有名詞もある)とするかと同じで、特に問題にすることもないが、ここではバレーボールのバレーとボレーは同じ意味だということを確認しておこう。

 ボレーシュートは、空中にあるだけに、そのとらえ方が地表のボールよりは難しく、そしてまたゴールしたときは、とても華やかに見えることが多い。
 ファンバステン以前に見た長身ストライカーのボレーシュートと言えば、74年ワールドカップの第2次リーグでの西ドイツ対スウェーデン(4−2)で、スウェーデンのラルフ・エドストレームのゴールがある。ペナルティーエリアすぐ外、左寄りの地点で、相手DFがヘディングしたボールの落下をとらえた左足の一振りは、ゴール右下隅に飛び込んだ。雨中の激しいシーソーゲームで、大会でのスリリングな試合の一つだったが、落下点を見極め、ためらうことなく振った一撃は、今も頭に残っている。

 エドソン・アランテス・ド・ナシメント、通称ペレ(ブラジル)は、1000以上のゴールを量産し、いずれはこの連載に登場するはずのストライカーだが、彼の得意技の一つに、ボールを浮かせて相手DFを抜いて出て、ボレーシュートを決める――というのがある。
 1958年ワールドカップに初めて出場したときの決勝の対スウェーデン戦で、ボールを浮かせて2人の相手をかわしてボレーシュートを決めている。この同型のものは、同じ大会の1次リーグ、対ウェールズ戦でも(このときの相手は1人だった)演じているし、サントスFC(ブラジル)とともに来日した72年5月23日(東京・国立)の対日本代表戦で決めた2ゴールともボレーシュートだった。
 一つは、自分の右前へボールを浮かして出て、右足のボレー。もう1点は、反転して左へ浮かして出て、一人、また一人とかわして左足ボレーで叩いてゴールした。2点目は17歳のときと同じタイプのもの。このとき31歳の彼は、自らのゴールを「会心のシュートだ」と喜んだ。

 ペレが自らボレーシュートをつくり出したとすれば、ゲルト・ミュラー(西ドイツ)はボールに対する本人の反応でボレーを決めていた。
 70年ワールドカップ、対イングランド戦の決勝点となったジャンピングボレーは、クロスの折り返しに合わせて、ジャンプして右足で叩いたもの。ミュラーの本能とも言える反応の早さと正しさを表したゴールだったし、66年ワールドカップでエウゼビオ(ポルトガル、大会得点王)の対ブラジル戦での矢のようなボレーシュートは、このストライカーの非凡さを示す好例だった。

 私たちの旧制中学の先輩が、昭和7年(1932年)だったかにイタリアの軍艦の乗務員と試合をして大敗した。そのときのことを話してくれた一人は、「イタリア人はボールを上から叩いている。だからシュートが上がらないんだ」とボレーシュートのことを言った。背の高いイタリア人たちは、ヒザの位置を高く上げて蹴っていたから、ボールを上から叩いているように見えたのだろう。当時の少年たちの目は、ボレーのコツを巧みに表現していた。

 95年のアンブロカップで、日本代表がイングランドでブラジルと試合をしたとき、CKのリバウンドをペナルティーエリアの外からブラジルのジーニョ(元・横浜F、94年ワールドカップ優勝メンバー)が左足ボレーシュートで決めたが、落下するボールを自分の一番良い高さまで待って蹴ったのを見て、「さすがだなあ」と感服したものだ。
 いろいろなボレーシュートが決まっている中で、ファンバステンのEURO88が強い印象を多くに与えたのは、長い、高いクロスの落下ボールを、そのまま叩いた大胆さにあるのだろう。そしてそのボールのとらえ方にこのプレーヤーの個性があり、魅力があったからだと言えるだろう。


(週刊サッカーマガジン 2007年11月27日号)

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