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マルコ・ファンバステン(7)90年の第11回トヨタ杯“本場の魅力”で日本のファンを酔わせた
90分間の緊迫感いっぱいの試合によって、北京オリンピック予選最終戦は0−0。強敵サウジアラビアと引き分けて、本番への出場権を得た。サポーターのみなさん、選手、監督さんたちへ、まずはおめでとう――。私たち古い世代は、オリンピックには格別な思いがあり、それはU−22日本代表が戦う予選であっても変わることはない。
サウジアラビア(第1戦0−0、第2戦0−0)カタール(第1戦1−0、第2戦1−2)といった強敵を相手に4戦1勝2分け1敗2得点2失点――の成績を物足りないと思う人もいるだろうが、とにもかくにも、勝ち抜いてくれた選手たち、監督、コーチ、関係者の努力に感謝したい。あとは、これからどれだけ個人力、チーム力のレベルアップをするかである。
さて、しばらく脇にそれていたので、マルコ・ファンバステンの話に戻ることにしたい。今回は、彼の大きなタイトルの一つである“クラブ世界一”90年の第11回トヨタカップ(現・クラブワールドカップ)でのプレーを振り返る。
90年12月9日、11回大会に集まった6万の観客は、南米の雄、オリンピア(パラグアイ)をミラン(イタリア)が多彩な攻撃で圧倒するのを見た。この前年、89年12月17日にも国立競技場でのトヨタカップで日本の多くのファンは、ミランと生のファンバステンを初めて見たのだが、ルート・フリットを欠き、ファンバステンもまた調子が上がらず。欧州ナンバーワンと、南米ナンバーワンの対決は、むしろ異色のGKレネ・イギータをリーダーとするコロンビアのナシオナル・メデジンの健闘ぶりが目立ったのだった。延長戦の末に、エバーニのFKで1−0でミランが勝ったが、ミランへの期待があまりにも高かったので、6万2000人、満員の観客はいささかアテ外れの感がないわけではなかった。
88年にオランダ代表で欧州を制し、89年にミランで欧州チャンピオンズカップ(現・チャンピオンズリーグ)と、その暮れにトヨタカップに勝って、“クラブ世界一”を手にしたファンバステンは、次の年にミランで再び欧州のタイトルを取ることと、その後の90年イタリア・ワールドカップでオランダに初の栄冠をもたらすことが望みだった。
ミランは期待どおり、それも2回戦でレアル・マドリード、準決勝でバイエルン・ミュンヘン、決勝でベンフィカといった強敵を破っての連覇だったが、イタリアでのワールドカップは、フリットがケガからようやく回復したけれど、ファンバステンは監督との確執もあり、足の痛みも加わって、大会では低調のまま準々決勝で西ドイツとの激戦に敗れた。オランダ代表はヨハン・クライフ以来の世界タイトル獲得のチャンスを逃してしまった。
大会前の評判と違ったファンバステンの本番での不調は不思議でもあったが、ミランに移ってからは(最初の年はケガで半分程度)コンスタントに活躍し、また代表の欧州選手権、ワールドカップ予選、そして欧州チャンピオンズカップという厳しい試合のあとで、監督との問題などもあって、調子を崩したのだろう。ビッグクラブのビッグスターの宿命――02年のフランスのジネディーヌ・ジダンをはじめ、多くの例があるが――ということかも知れない。
11回トヨタカップでのファンバステンは、イタリア・ワールドカップでの私の失望を覆すプレーを演じた。相手のオリンピアは、しっかりとしたチームだったが、体格差があった。フリット、フランク・ライカールト、ファンバステンのオランダトリオの生き生きとしたプレーは久しぶりに“本場のスター”に会えたと、サッカー好きを喜ばせた。13分にフリットが左から長いクロスに合わせたライカールトのヘディングは、彼と、このチームのスケールの大きさを表した先制点だった。後半に入ってミランの調子が上がり、ファンバステンのシュートのリバウンドをジョバンニ・ストロッパが決めて2−0(61分)とした。リードされたオリンピアがゴールを狙って攻めに出る。その裏のスペースを出るファンバステンのうまさ、ボールを取ってから、シュートへ入っていく形の美しさに多くの人は酔ったに違いない。
2点目から4分後にまたゴールが生まれた。今度はファンバステンがペナルティーエリア右外から、GKウーゴ・アルメイダの頭上をふわりと浮かして抜き、右ポストに当たってはね返ったボールを、ライカールトがダイビングヘッドで叩き込んだ。ライカールトの飛び込みは迫力満点だったが、私はファンバステンが後半の2点とも、彼がシュートをGKのレンジ(手の届く範囲)の外へ蹴っているのに感心した。そのシュートが2本ともポストに当たったのだった。GKにシュートを当ててしまうFWが多いなかで、この日の彼は別格に見えた。26歳、いよいよ充実期に入ったファンバステンを、私は11回トヨタカップで見ることができた。
(週刊サッカーマガジン 2007年12月11日号)