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マルコ・ファンバステン(2)長身でしなやかで、技巧的でスピーディーと、理想的な資質の備わったゴールハンター

 1986年、ワールドカップ・メキシコ大会でディエゴ・マラドーナ(アルゼンチン)が大活躍し、世界中の関心を集めていたとき、オランダでは一人の若者に期待が注がれていた。
 マルコ・ファンバステン。64年10月31日生まれ。マラドーナ(60年10月30日生まれ)よりも4年と1日遅く生まれてきた21歳のストライカーが、85−86年シーズンに37ゴールを決めて、ヨーロッパの各国リーグ得点王の中で最多ゴーラーとなり、ゴールデンブーツ賞を受けたのだ。
 すでにアヤックスで2年連続、オランダリーグ(エールディビジ)得点王の実績を築いたファンバステンのゴールデンブーツ賞受賞は、類稀な資質がいよいよ実績を重ねて開花し、再びオランダに栄光の時代をもたらす力となることを予感させたのだった。

 ユトレヒトに生まれ、7歳でこの街のクラブでフットボールをはじめたファンバステンは、17歳でアムステルダムの名門アヤックスと契約した。
 82年4月3日、彼はヨハン・クライフの控えとしてプロデビューを果たし、NECナイメーヘン戦で1ゴールを決める。
 そのゴール能力は、次の82−83年に9得点(20試合)83−84年に28得点(26試合)84−85年に22得点(33試合)そして85−86年に挙げた37得点(26試合)と高まる。86−87年(27試合、31得点)を最後に彼はアヤックスを去るが、それまでオランダリーグでは128得点(133試合)オランダカップで13得点(22試合)。ついでながら、ヨーロッパのカップ戦でも11ゴール(17試合)を奪い、合計152得点(172試合)の記録を残した。

 プロデビューした翌年の83年6月、彼はオランダユース代表としてメキシコでのFIFAワールドユース選手権に18歳で出場、準々決勝で敗退したが、彼自身は専門家たちの高い評価を受けた。
 この3ヶ月後の83年9月7日、対アイスランド戦でフル代表でのデビューを果たし、その2週間後のベルギー戦(1−1)で同点ゴールを決め、代表での得点をスタートさせる。

 70年代のクライフとその仲間の栄光の時代が去り、しばらく低迷の続いたオランダ代表には、ファンバステンよりも2歳年長のルート・フリット(62年9月1日生まれ)とフランク・ライカールト(62年9月30日生まれ/現・バルセロナ監督)の2人のスリナム系の偉才が加わっていた。フリットは186cm、ライカールトは190cm、この2人に188cmのファンバステンを加えたオランダ代表の大型トリオは、復活を期すオランダの先頭に立つだけでなく、後にイタリアのACミランに移ってヨーロッパと世界のサッカーのリード役にもなる。

 フリットはスリナム人を父に、オランダ人を母に持ち、ライカールトは両親がスリナム人。ともにオランダ育ちだが、オランダ系の骨格の太さと、黒人特有のしなやかさと強さを備えていて、高いテクニックを持ち、状況判断も的確だった。
 オランダの優れたスポーツマンの特色は、まず体がしっかりしていることで、東京オリンピックの柔道金メダリスト、アントン・ヘーシンクをはじめ、70年のスピードスケートの世界チャンピオン、アーノルド・シェンク、さらには48年のロンドン・オリンピックの陸上競技のヒロイン、ブランカース・クン夫人たちは、いずれも体格での優位とパワーでまず相手を圧倒していた。
 80年代に現れたフリットとライカールトは、そのオランダ特有の強い体とパワーに黒人系の“身のこなしの柔らかさ”がプラスされていたのが、従来のオランダ系のチャンピオンたちと異なるところだが、不思議なことに、その黒人系ではないファンバステンも、オランダ選手の中では異色ともいうべき“柔らかさ”を備えていた。それは、70年代の“スーパースター”クライフの系譜を継ぐものともいえた。

 アヤックスでのファンバステンは、リーグタイトルを3回(82、86、87年)オランダカップ3回(83、86、87年)そして87年にはカップウィナーズカップにも勝ち、欧州のビッグタイトルのひとつを獲得した。
 各国のカップ戦(日本の天皇杯にあたる)の勝者がノックアウトシステムで戦うこのカップウィナーズカップで、アヤックスは、1回戦でトルコのブルサスポル、2回戦でギリシャのオリンピアコス、準々決勝でスウェーデンのマルメを退け、準決勝ではスペインのサラゴサに2勝し(ここまではホーム&アウェー)決勝は東ドイツ(当時)のロコモティフ・ライプチヒを1−0で破った。ファンバステンは準々決勝までに5ゴールを挙げ、ロコモティフ戦の唯一のゴールも彼が決めた。
 こうしたファンバステンに、ビッグクラブが手を伸ばさないはずはない。セリエAのACミランが彼を獲得、そこでオランダ3人衆がそろうことになり、ACミランとオランダ代表の華やかな時期がやってくる。


(週刊サッカーマガジン 2007年10月23日号)

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