賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >ロナウド(3)スタートして臨んだフランス大会。モロッコ戦で見せたその特性

ロナウド(3)スタートして臨んだフランス大会。モロッコ戦で見せたその特性

「TOYOTAプレゼンツ FIFAクラブワールドカップ ジャパン2007」は浦和の健闘で大いに盛り上がった。81年に欧州王者と南米王者の対戦に、トヨタカップの名を冠して日本で開催するようになってから26年。FIFAの公式の大陸ナンバーワンクラブによる世界一を決める大会へと発展した四半世紀の積み重ねの上に、いよいよ日本のクラブが欧州、南米のビッグクラブに挑戦するチャンスをつかむことになった。
 20世紀から21世紀にまたがって、このイベントをバックアップした企業の先見性と努力をあらためて思うことになると同時に、93年のJリーグ発足以来の各クラブの15年の成果と、浦和自身の力が、この大会への日本全体の関心を高めたことをありがたく思う。

 ベスト4に残ったチームの試合ぶりを見れば、それぞれに特色はあるが、他の3チームに比べると浦和のそれは、まことに日本的で、まったく異なるスタイルであること――そして、それが第1戦の完勝につながっていったことも、多くのファンの目に焼きついたに違いない。と同時に優れたストライカーの重要性についても、あらためて」気づいたこと――。浦和の中でも、ワシントンの存在の大きさを再確認することになったはずである。


 さて、表題のロナウド――ミラン(イタリア)の一員として来日している彼が、負傷のため登録メンバーから外されたが、それはさておき、3度のワールドカップ出場で、個人の通算最多得点(15)を記録した彼のシリーズの3回目は、98年フランス・ワールドカップから――。

 98年6月10日、パリに近いサンドニ市に設けられた新しいスタジアムでワールドカップのフランス大会が始まった。
 初の32チーム参加。日本代表が初めて本舞台に登場し、しかも4年後に日韓共催大会を控えていた――私にとって7回目のワールドカップ取材は、これまでとはまったく異なる環境になってはいたが、檜舞台で各国のトッププレーヤーを生で見ることのできる魅力は、変わることはなかった。
 この日の開幕戦で、94年大会チャンピオンのブラジルがスコットランドと対戦。そのブラジルに21歳の、当時、“最高”と言われたロナウドがいた。

 試合は2−1でブラジルが勝った。得点は5分にベベットのCKに合わせたセザール・サンパイオが先制。38分にスコットランドがPKで同点にした。決勝ゴールは73分にカフーのシュートが相手のGKジム・レイトンに当たり、そのリバウンドがDFトミー・ボイドに当たって入るオウンゴールだった。
 ロナウドはシュートを4本放ち、2本は防がれ、2本は枠を外れた。
 初めて生で見るロナウド。この日の各紙の朝刊は全てと言っていいほど彼を取り上げていた。その評判に比べるといささか期待外れだが、いくら実績はあっても若いスターにとっても開幕戦の重圧があったのだろう。
 彼の大会初ゴールは、Aグループ第2戦対モロッコ戦(3−0)で見ることができた。リバウドからのパスを、マーク相手より一歩早く出てシュートした。
 その一瞬の動きの鋭さに、ロナウドの“速さ”を見た。
 GKタファレル、DFが右にカフー、中央がアウダイール、ジュニオール・バイアーノ、左にロベルト・カルロス、守備的MFがサンパイオとドゥンガ、その前に開いてリバウドとレオナルド、FWがロナウドとベテランのベベットの顔ぶれだった。攻撃的MFが2人とも左利き、FWは2人とも“速さ”が基調という、多様な人材の宝庫なのに――とちょっと首をひねりたくなる組み合わせだが…。

 前半ロスタイムにリバウドが2点目を決める。レオナルドからベベットへ。ベベットから右サイドのカフーへ。そこから送られてきたボールに、リバウドが合わせた。
 50分にロナウドの別の面を見ることになる。モロッコのGKドリス・ベンゼクリからのパスを受けた右DFのアブデルラハ・サベルのボール処理が遅れ、いつの間にか走り寄ったロナウドがボールを奪い、ドリブルで、一人かわして右足で中へ送る。そこにいたベベットが決めた。
 相手DFへ走り寄る早さもすごいが、その前に、GKからのグラウンダーパスを受けるDFの姿勢を見て、スタートを起こした彼のひらめきに、その特性を見た気がした(これは02年の横浜での決勝でも見ることになる)。

 2勝して16強入りを決めたブラジルは、次の第3戦対ノルウェーを1−2で落としたが、Aグループ首位で決勝ラウンドに進み、1回戦(6月27日、パルク・デ・プランス)でチリを4−1で破り、7月3日ナントでの準々決勝でデンマークを3−2で退け、準決勝でオランダとの大一番を迎える。そこでまた彼のゴールが生まれた。


(週刊サッカーマガジン 2008年1月1日号)

↑ このページの先頭に戻る