賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >【番外編】岡田武史監督 彼自身と日本サッカーの10年の証を見たい

【番外編】岡田武史監督 彼自身と日本サッカーの10年の証を見たい

 ワールドカップの通算最多得点者ロナウドのお話は今度が4回目、フランス・ワールドカップ決勝での“大事件”に入るところですが、ちょっとシリーズから外れて、いま注目の岡田武史日本代表についての私の随想です。

「ここで、何を…」
 JFAハウスの9階だったかにある、小さな喫煙室兼コーヒールームで日本サッカー後援会事務局長の山路修さんと話しているとき、岡田武史が入ってきた。12月19日、午後4時過ぎだった。
“いや、君の顔を見に来たんだよ。監督就任の記者発表のときには出席できなかった。テレビで見た顔も元気そうだったけれど、急に生の顔を見たくなって、今日の発表会に出てきたんですよ”と私。
「いつも、こんな顔ですよ」と彼。
“メガネも丸かったのに、変えたんだね”
「これはだいぶ前からです」
 たわいのないやりとりの後、
“それでも、こういう時期に、どこのクラブとも契約しないままでいたことが、JFAにも君にもよかったね”
「わずかな時期の違いで、これは不思議な感じですね。もっとも、それがよかったのかどうか――」
 キリンチャレンジカップ2008〜ALL FOR 2010〜の発表会が迫っていた。誰かに促されて「それでは」と彼は去った。

 この日、代表チームを招集して練習試合をした。現場に行ってきた後のちょっとした充実感があったのかもしれない。顔にはツヤがあり、52歳の自信と、健康状態の良さを表す輝きがあった。
 川淵三郎日本協会キャプテンを中央に、左にキリンビールの三宅占二社長、右に岡田武史監督が並んでの発表会で、新監督は「自分も選手時代にキリンカップの試合に出たことがある」と言い、「第1戦のチリはプレスをかけてくるはず。こういう良い相手とやらせてもらえるのはとてもありがたい」と話した。
 頭の回転の良さは変わらないが、記者との質問の受け答えに、98年以来の10年の歳月から来る余裕が感じられた。

 少年岡田武史くんに出会ったのは1969年だから、ざっと40年近く前になる。中学2年生の彼がドイツへ単身留学したいと言い張って父君を困らせているので、相談に乗って欲しいと頼まれたときだった。
 その次に会ったのは、1980年のキリンカップ。日本代表に入っていた彼に試合前に声をかけられ、「ドイツの件ではお世話になりました」と言われたものだった。丸い顔と丸いメガネから、ヒョロリとした中学生を思い出すのに時間はかからなかった。あのときは“今の君の体では、ドイツに行っては損だから、高校生になるまで行かない方がいい”と言ったのだが、その後、彼は天王寺高、早大と進み、古河電工でプレーしはじめていた。
 その頃、私はスポーツ紙の編集局長で、自ら取材に出かけて記事を欠く立場ではなかったから(ワールドカップは別だが…)彼の選手としての成長を、それほど詳しく見たわけではない。ただテレビに映る代表の試合で、中盤の深い位置から攻撃に出て行く姿を見て、流れをつかんで前へ出るようになったなあ、と思ったものだ。

 加茂周さんが日本代表監督になったとき、岡田武史はコーチとなった。大人になってからドイツにわたってコーチ修業した彼の力を周さんは買っていたらしい。
 フランス・ワールドカップの予選で、チームが苦境になったときの監督交代のいきさつはすでに歴史の一部として何度も語られてきた。私も、当時の関係者から評価を聞かされたが、その場に岡田武史がいたことが不思議でもあり、面白く(失礼)もあった。

 約10年後に、別の形ではあるが、同じような状況の場に彼がいた。
 才能のある彼は、いろいろな仕事ができそうだが、日本代表の監督は――この場で彼しかいない――という切羽詰まったところで役柄がまわってくる。うまい具合、彼がそうした力を蓄えているときに、それがやってくるところに二重の興味がある。

 1924年、パリ・オリンピックの年に生まれた私は、1956年生まれの岡田武史の人生の節目を眺めてきた。
 コンサドーレ札幌でも、横浜F・マリノスでも、しっかり仕事をした。今度はその実績の上に立ち、経験を積んでの代表監督となる。98年から10年間に彼も日本サッカーも、そしてメディアも進歩したハズだ。
 10年という年月は、たとえば1921年(大正10年)にJFAが創立されてから、1930年の第9回極東大会でフィリピンに勝ち、中華民国と引き分けるまでになるまでは9年間だった。インステップキックやサイドキックの区別も分からなかった時期からの成長を思うとき、私は日本サッカーの前進とワールドカップでの好試合を期待することになる。

(週刊サッカーマガジン 2008年1月8日号)

↑ このページの先頭に戻る