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ロナウド(5)ブラジルと自身を襲った決勝の苦難と右ひざの故障との戦い
98年7月12日、FIFAワールドカップ・フランス大会最終日、午後8時過ぎに、私はパリ郊外のサンドゥニ・スタジアムの記者席にいた。36段の92番のシートは、2段の前から2列目、中央やや右寄りの見やすい席だった。
いい席に当たって、開催国とブラジルとの決勝を見られるぞ――と浮き浮きしていた気持ちは、最初に配られたブラジルのスターティングリストにロナウドでなくデニウソンの名前が書き込まれていたことで水をかけられる。
前々日に日本の衛星テレビの放送で、「ブラジルは優勝に値する。ただし、ロナウドの負傷がどれくらいかにもよる」と話した(畏友セルジオ越後は、今度のブラジルはそんなに強いとは思わない。フランス有利――と言っていた)のだが……。
さらに驚いたことに、キックオフ20分前にブラジルのメンバーの新しいリストが配られ、それにはデニウソンでなく、ロナウドになっていた。
疑念を抱えたまま、午後9時キックオフ。ロナウドの動きがいつもと違うことに多くの人が気付くのに時間はかからなかった。それでもブラジル側に2度チャンスがあり、形ができそうに見えた後、フランスが右CKからジネディーヌ・ジダンのヘッドで先制した。キッカーはエマニュエル・プティ、ニアサイドにジダンが飛び込んだ。
このCKはフランスのクリスチャン・カランブーの攻め上がりからロベルト・カルロスがゴールライン際でオーバーヘッドキックで処理したボールが、CKと判定されたもの。ロベルト・カルロスはコーナーフラッグを蹴り飛ばしたが、ロナウドと親しい彼の試合前からの“事件”続きによるイライラがあったのだろう――とはのちに思うこと。
相手の主砲が不調。そして先制ゴールはジダンとあって、フランスの勢いが増す。45分に再びジダンのヘディングシュートで2−0とした。今度のキッカーはユーリ・ジョルカエフ。
ジダンはドゥンガに体をぶつけてはね飛ばし、ヘディングした。ボールはカバーに入ったロベルト・カルロスの両足の間を抜けてしまった。
実はこのCKもリリアン・チュランのロングボールをCBのジュニオール・バイアーノが処理を誤って、ステファン・ギバルシュにシュートされ、GKタファレルが防いだもので、このあたりにもブラジルのチーム自体の士気が落ちている感じが見えた。
マリオ・ザガロ監督はロナウドを代えることなく、後半にはレオナルドの交代にデニウソンを送り、そのドリブルから挽回を図る。彼とロベルト・カルロスの奮起で左サイドの勢いが増し、チャンスを生む。57分にその左からのボールがファーポスト側へまわり、ロナウドがシュートした。
彼のこの試合2本目のシュート。至近距離だったが、GKファビアン・バルテズの正面。時おりポカをするバルテズだが、こういうときにはしっかりとキャッチする。「いつものロナウドなら、もっと強いシュートになる」と、ブラジルサポーターは思ったかどうか…。
バルテズは、この後、ロングスローをパンチングし損ね、抜け目のないベベットがシュートしたが、マルセル・ドゥサイイーがはね返した。そのドゥサイイーが68分に2枚目のイエローカードで退場して10人となる。ブラジルの攻めは続いたが、ロナウドは働かず、逆にロスタイムにフランスがカウンターで3点目を奪ってしまった。
ロナウドに何があったのか――。
開催国フランスの優勝という華やかな結末と反対に、メディアは7月12日の彼の一部始終を知ろうとした。ザガロ監督をはじめ、仲間たちの固い口から漏れてくる話をつなぎ合わせると、試合当日のランチの後の休息の時間に、ロナウドは急に顔が青ざめ汗をかき、けいれんを起こしたという。2人のドクターが駆け付け、パリの病院へ運んで検査をした。ザガロ監督は、ロナウドに代えてデニウソンの起用を決めたが、病院での検査の結果、ロナウドを出場させることを決断したという。
62年に負傷のペレを欠いてもブラジルは優勝した。ロナウドなしでいこう――との最初の決断をザガロ監督が変えたのはなぜなのか――。単なる検査の結果だけなのか。他に圧力のがあったのか――などの話が飛び交った。
体調急変の理由は? 負傷の痛みを和らげるための薬によるものではないか――。21歳の若いエースストライカーは謎を残したままフランスを去った。
2週間後、彼は故郷ですっかり良くなったと宣言した。しかし、新しいシーズンに入ると故郷のため、インテル(イタリア)と戦列を離れる日が増え始めた。
私たちはこの後、稀有のストライカーと右ヒザ故障との壮絶な戦いを見ることになる。
(週刊サッカーマガジン 2008年1月22日号)