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ロナウド(9)最高の瞬間を演出した相手ボール奪取。タイ戦の日本2点目との不思議な一致

 試合の直前になって有力選手2人が出場停止ということが判明したうえ、当日は低い気温だけでなく、降雪も…。周到な準備をして乗り込んできたタイの監督や選手にはいささか“ついて”いない2010年南アフリカ・ワールドカップアジア3次予選開幕となった。
 日本側はイビチャ・オシムさんの病による監督交代があり、合同練習の期間も短いものだったが、チームの顔ぶれはこれまでとはほとんど変わらず、経験ある選手にワールドカップ予選の新顔を加え、キリンチャレンジカップのチリ戦では1対1で粘っこい相手との競り合いを体験し、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦ではゴール前の守りの厚い相手からも点を取った。
 岡田武史監督の戦略と選手の自主判断についての理解も進み合戦準備は整っているようだったから、試合には楽しい期待が持てた。
 途中で同点ゴールを奪われるというスリルもあったが、結局は4−1で勝利を収め、勝点3を獲得した。まずは初戦の勝利おめでとう。

 3得点が停止球、いわゆるセットプレー。FKを遠藤保仁が直接決め、2本の左からのセットプレーのうち、1本は中村憲剛のボールを中澤佑二、もう1本は遠藤のキックを巻誠一郎が、ともにヘディングで決めた。遠藤のCKが必ずしもうまくいかなくなったとき、キッカーが中村に代わったのも、チーム全体の工夫の表れと言えた。
 リスタートのゴールは、いずれも今の日本代表のお家芸と言えるが、2点目が私にとっては印象が強い。

 得点を決めたのは大久保嘉人で、ゴール前での“とっさ”のシュートは彼らしい。ただし、そこまでの過程で(1)「山瀬功治が左サイドから突破してきた」のが、きっかけ、そのあとのパスを奪われたとき(2)「相手側のクリアキックに中村がよく詰めて、足に当てた」のが大きい。
 ペナルティエリアの外で山瀬が仕掛けて、ゴールライン上をドリブルで進んだところは見事だった。パスを奪われたあとも動きを止めず、中村がそのクリアを妨害したためにボールが逆に中央へ転がったのだった。
 山瀬のドリブルと、取られればすぐ取り返しにゆけ――という監督の強い指示が生きた――ゴールと言えた。
 この2点目を見ながら、私は02年ワールドカップ決勝、ブラジル対ドイツ(2−0)のロナウドの先制点を思い出していた。

 6月30日、横浜でのこの対決の1点目は、リバウドのシュートをGKオリバー・カーンがファンブルし、それをロナウドが決めたのだが、そのリバウドへのパスはロナウドから。それもロナウドが左サイドからドリブルで持ち込み、一度奪われ、ドイツのディトマール・ハマンが処理に手間取ったところをロナウドが奪い返して、リバウドへのパスを送ったのだった。
 カーンは「大会7試合で、ただ一つのミスが…」と悔やんだが、ゴール近くの味方ボールを奪い返されたところにドイツ側の破たんがあった。

 ロナウドは多彩なシュートを持っているとともに、相手のミスを見逃さぬ嗅覚もある。フランス大会(98年)でも、私はその例を見ているが、これも感が良いだけではなく、絶えずゴールを狙う意欲の表れと言える。
 決勝の前半は、ドイツ側にやや勢いがあり、やがてブラジルの攻撃が目立つようになっていた。このゴールでブラジルの士気は高まり、中盤の要ミヒャエル・バラックを欠くドイツには重くのしかかるものとなる。79分にロナウドがクレベルソンからのクロスを決めて2点目を奪い、ブラジルの5度目の優勝と、ロナウド自身の98年大会のリベンジを遂げることになる。

 傑出したスピードと得点能力で、20歳そこそこで大スターとなったロナウドは、その瞬間的なダッシュの速さがヒザの故障を生み、長い苦しい時期のあと、再びワールドカップという晴れの舞台でチャンピオンと最優秀選手の座につくことになった。
 驚いたことに、彼は日韓大会のあとにインテル(イタリア)からレアル・マドリード(スペイン)に移る。26歳の働き盛りの彼は、レアルを王座に導き、自らもまたストライカーとしての業績を重ねた。
 この彼のプレーヤーとしての後半生もまことに面白いが、今回は「ワールドトロフィーにキスをしたときは、人生最高の瞬間だった」という、02年大会で、彼のシリーズをひとまず終わりたい。
 そして、この才能豊かなストライカーが、人生最高の瞬間を生み出したゴールが、「相手ボールの奪取」からだったこと。
 2010年に向かう日本代表のアジア3次予選の最初の試合で、日本代表の重大な2点目が、やはり相手ゴール近くでのボール奪取、いわば泥臭いゴールであったというところを記憶に留めておこう。


(週刊サッカーマガジン 2008年2月19日号)

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