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ロサンゼルスのライス・カレー 7月12日
「JAPANESE STYLE CURRIED CHICKEN」(日本式のチキンカレー煮込)のメニューにスチームド・ライスつきとあったから、注文してみると、これはまったく日本式のライス・カレー。ご飯は添え物でなく、たっぷり。それにジャガイモやニンジンの角切りが、形のまま残っている家庭料理風だった。
いわゆる日本料理、スシやテンプラはもちろん、会席まで、世界中で食べられるようになったこの頃でも、ホテルのレストランで日本風のライス・カレーにお目にかかるとは、さすがにここは、ロサンゼルス。USAの太平洋の玄関だ。
7月12日の夜、私はロサンゼルスのダウンタウン(中心街)ウイルシャイヤー通り930のヒルトン・ホテルにいた。6月17日に始まった第15回W杯もいよいよ大詰めを迎え、13日には準決勝がニューヨークとロサンゼルスで行なわれ、17日の決勝に進むチームが決まることになっていた。
「これはいける」。ライス・カレーにニンマリしながら、ここまでの道程を振り返る。
6月13日に大阪をたち、その日にロサンゼルス経由でシカゴへ。17日まで滞在したあと、ニューヨーク、ワシントンを回って21日にボストンに入り、ここを足場にグループリーグと第2ラウンド1回戦を取材してから、準々決勝はダラス(ブラジル3−2オランダ)とサンフランシスコ(スウェーデン2−2、PK5−4ルーマニア)と見て、12日にロサンゼルスへ入ったのだった。
どういうわけか、これまで訪れることの少なかったアメリカ合衆国に1ヶ月もいるのだから、できるだけ多くの土地や人を、そして試合を見たい、と欲張ったスケジュールを立て、家人には「フライング・セブンティ(70歳)、無理だとわかったら途中でキャンセルして下さいよ」と念を押されたが、ほぼ予定通りに移動できた。
あとから考えれば、アメリカの広さを知らないために、効率の悪いフライトもあったが、ともかく、これまで7都市で16試合を生で見た。その間、飛行機に乗った時間は32時間半、飛行距離にして2万7542.41km。地球を一周してオツリがくる。
なにしろ、ボストンからダラスに飛べば、片道1752マイル(2803.2km)。これを往復すると、搭乗時間だけで8時間、大阪とロサンゼルスが10時間25分だから、7月3日に、サウジ対スウェーデンを見るのに日帰りをしたときは自分のプランがばかげているのを知るとともに、アメリカの広さを体の痛み(機内の冷房で、悪くしていた腰の痛みが悪化した)とともに、実際に感得できた。そう、今度の大会は、この広さが特色のひとつでもあった。
この広さは各地方の気候、気象の違いとなる。南のダラスやオルランドは暑く、サンフランシスコは涼しく、ロサンゼルスでは日差しが強くても湿気は少ないが、東部では平均して湿気が多い。
ダラスのシルバードームは室内だけに気温が上がる。12日付の新聞の予報ページを見ると、サンフランシスコの予想最高気温華氏66度(19℃)ダラス92度(33℃)ニューヨーク88度(31℃)となっていた。
W杯上位の常連であるドイツが敗れたのも、彼らの年齢の高さに、暑さと湿度が影響し激しい動きの上に立つ、精密機械のようなサッカーを狂わせたのだと思う。それだけでなく万事、几帳面なフォクツには、移動の多い、その都度大きく変わる気候のもとでは、コンディション調整に苦労したのではないか。
日本のホテルではお目にかかれない、家庭料理風ライス・カレーを味わいながら、私はこの国のタフな広さと、勝てなかったドイツを結び付けようとしていた。
(J-ELEVEN 1994年9月号「FLYING SEVENTY W杯USA’94 アメリカの旅」)