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新聞での悲歌

「USA out amid tears, cheers」
アメリカ敗れる――涙と拍手のうちに(USA トゥデイ)

「Head Fight, Hearts Hurting and Now Going Home」
心は傷つくとも 頭を高く上げよ そして、さあ、家路につこう(ニューヨーク・タイムス)

 7月5日朝のアメリカの有力紙に目を通しながら、前日の7月4日、サンフランシスコで行なわれたブラジル対アメリカの試合のアメリカのメディア、アメリカの大衆に与えたインパクトの強さを改めて思った。
 94年アメリカワールドカップは6月17日に始まり、4チームずつ6組による1次リーグが30日に終わって、7月2日から、いよいよ第2ラウンド1回戦に入っていた。
 6月21日からボストンを基地にして取材に飛び回っていた私は、第2ラウンドに入っても、▽7月2日 ボストン・シカゴ往復(ドイツ対ベルギー)▽7月3日 ボストン・ダラス往復(サウジ対スウェーデン)といういささか強行スケジュールをこなした後、7月4日はフロリダ州オーランドでのオランダ対アイルランドを取材する予定だったのを変更し、ボストンにいて、テレビで、ブラジル対アメリカ戦を見た。

 予定では4日朝、ボストン発7時30分のDL(デルタ航空)797便に乗りオーランド着10時21分。12時キックオフの試合を見た後、オーランド発19時25分のDL730便でボストンに戻る(22時11分)ことにしていたが、アメリカの第2ラウンド進出という予想外の健闘によって生まれた「ブラジルへの挑戦」という大会のハイライトを、テレビでじっくり見たかった。
 また、7月4日のメモリアルデー(建国記念日)を、その独立戦争の発端となったボストンについて味わいたいという思いもあって、予定を変えたのだった。


(J-ELEVEN 1995年3月号「FLYING SEVENTY W杯USA’94 アメリカの旅」)

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