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W杯決勝から半年後に

 ドシーンだったか、ドーンだったか、気が付いたら異様な音とともに建物が揺れていた。揺れが止まって、ズボンをつけコートを取り靴をはく。暗い中を戸口まで進んだが鉄のドアがビクともしない。ベランダに出て、隣との仕切りを蹴破り、隣家のドアから飛び出し階段を走り降りた。
 今年1月17日の阪神・淡路大震災。芦屋市業平町の山口マンションの4階に、書庫兼事務所として借りていた402号、そこのソファーベッドで寝ていたときに大激震がやってきて、鉄筋コンクリート造7階の建物は1階部分の柱が折れて、カーポートの上に傾きながら坐りこむ形となった。
 幸い山芦屋の自宅は無事だった。ローソクと懐中電灯がたよりの夜半に電気がつき、テレビが被災地のナマナマしい情景を伝えた。

 18日の朝、NHKテレビは各国のテレビの地震に対する情報を伝えた。
 英国のBBCは大地震の中で日本人が冷静なのに感銘を受けたといい、フランスは活断層体を図面入りで報じた。アメリカのABCはロサンゼルス地震と同じマグニチュードだがロスは震源地から80マイル、神戸は震源地から20マイル、だから被害も大きい――といっていた。それぞれにお国ぶりがあらわれているが、私は、ロスの地震から、1月17日という日がW杯のロサンゼルスでのファイナルからちょうど半年という奇妙な符号を思い出していた。


(J-ELEVEN 1995年4月号「FLYING SEVENTY W杯USA’94 アメリカの旅」)

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