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ダラス・トルネード

 ボストンとはまったく異なったダラスは、私にはアメリカの新しい顔を見る思いがした。
 私が泊まったのは、ウエスティン・ホテル・ガレリア・ダラス。ホテルに隣接して広大なショッピングセンターがある。その冷房を利用してセンター内にスケートリンクがある。灼熱の荒野のなかでのデラックスな施設は、さすがにアメリカ、新興都市の豊かさの象徴といえた。ダラスといえば、その富裕ぶりを題材にしたテレビドラマもあった。そして、あのケネディ大統領の暗殺事件の地でもあるが、私には、1967年に日本にやってきたダラス・トルネードというサッカーのチームが忘れ難い。
 世界一周の途中に大阪に立ち寄ったこのチームは、日本チームと試合をした。アメリカが北米サッカーリーグ(NASL)というプロリーグをスタートさせる前で、ダラスを本拠とし『トルネード(竜巻)』と名づけたチームを編成し、ヨーロッパでトレーニングを積んでアメリカへ帰る途中だった。メンバーはほとんど欧州のプレーヤーで、オランダ、スコットランド、イングランドの3部、2部での経験者もいた。

 12月24日の長居での試合は、観客も少なく、まことにお寒いもの。とくにダラスの選手の反則は目に余るほどで、日本のレフェリーに対しての“食い下がり”も再三、たまりかねて監督がフィールドに入り選手をたしなめる一幕もあった。
 試合後、彼らのホテルを訪れたら、ちょうど食事が始まるときだった。大阪でも一流とはいえないホテルの、決して豪華でない夕食を前に監督がクリスマス・イブのお祈りをし、皆が両手を組んで静かな時を持った。フィールドでの荒々しいプレーとはうってかわった敬虔さだった。

 アメリカでのサッカーが海のものとも山のものとも分からないのに、そこへ飛び込んで行こうという若者たち、住みなれた故郷を離れて見知らぬダラスへ向かう彼ら、若い男ばかりの長いトレーニングのあと、初めての極東で迎えるクリスマス・イブ。彼らはどんな思いで迎えたのだろうか――。

 ダラス・トルネードが参加したNASLも無理な拡大政策の失敗で今はなく、W杯開催を足場にローゼンタールを中心とする推進者が新たにプロリーグを結成することになっていた。


(J-ELEVEN 1995年4月号「FLYING SEVENTY W杯USA’94 アメリカの旅」)

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