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86年メキシコ大会の惜しい敗退
ソ連がワールドカップに登場したのは前述のとおり58年からだが、62年チリ、66年イングランド、70年メキシコと連続出場したあと、74年西ドイツ、78年アルゼンチンは抜けて、82年スペイン、86年メキシコと続き、今度が3回連続、7回目となる。
前回のチームは、1次リーグでC組のトップとなり、決勝ラウンドでも活躍が期待されたが、1回戦でベルギーに敗れてしまった。C組の第1戦でハンガリーを6−0で破ったゴールラッシュは、一躍このチームを大会前半の注目株とした。第2戦の対フランスにもラッツのすごいミドルシュートで先制し、フランスのパス攻撃に1点を失い1−1で引き分け、第3戦もカナダを3−0で下した。
スピーディーなドリブル、ことにサイドバックの長く速い攻め上がりとベラノフ、ザパロフ、あるいはラッツのシュート、ヤコフェンコのパスなどが見事に発揮され、相手にダメージを与えた。
大会のはじめ、ブラジルや西ドイツ、フランスの調子がいまひとつだったときに、このソ連とデンマークが話題となり、欧州の評論家の中には、ソ連を74年のオランダと並べる者もいた。それが16チームによる決勝ラウンド1回戦で、ベルギー(B組3位、勝点3で進出)の戦略に引っかかってしまった。
守りに5人を配置してソ連のパスとドリブルの攻めを防ぎ、ロングパスによるカウンターを狙ったベルギーの老巧な試合ぶりにしてやられたのだが、この試合を見ながら感じたのは、ソ連のプレーヤーが、非常に高い技術と練られた体力を持ちながら、試合中にポカッと穴があいた感じになること。そこにたまたまベルギーの長いパスが出た。
後方に人数を多くし、中盤は人数が少なくなる、いきおいスペースが広がるから、ベルギーの大きなドリブルはやりやすい。ソ連は、そのベルギーの意図を十分に予測しているハズだったが、結局2−2の同点から延長となり、2点を奪われて4−3で敗れてしまった。
ロシア人にとって、気温の高い土地での長い滞在とプレッシャー、そして、実際にゲーム中の暑さなどがハンデになったろうと思われた。が、同時に、私には彼らがいつもトップスピードでプレーをしようとするやり方が疑問だった。あまりにも体力を消耗する試合ぶりで、そのために集中力が切れ、マークが甘くなるのではないかと思えた。
(サッカーダイジェスト 1990年7月号「蹴球その国・人・歩」)