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15世紀に王様の禁止令

 スコットランドでサッカーをやるようになったのは――いうまでもなく、1863年のFA創立後。ロンドンにイングランドの各クラブが集って、それまでルールのまちまちだったフットボールを同一ルールで試合できるようにしようと相談し、その協会を創ったのがいまから127年前。ここで手を使わないサッカーと、手でボールを運ぶラグビーに分かれるのだが、イングランドにFA(フットボール・アソシエーション)が生まれた10年後にはスコットランドのグラスゴーにスコットランドFAが創られ、スコットランドのFAカップも始まっている。

 もともとサッカーもラグビーも区別がつかなかった古いフットボール……村の入口から相手の村の入口までボールを蹴り、相手メンバーを突き飛ばしてボールを運んでゆく、あるいは、町の広場の両サイドをゴールに見立て、そこへボールを蹴り入れる。そんな古い型のフットボールは、イングランドと同じようにスコットランドにもずいぶん前からあったらしい。
 記録に残っている話では、1423年に、スコットランドの王様、ジェームス一世がフットボールの禁止令を出したとある。この王様はイングランドに長く抑留されていたから、そこでのフットボール選手がときどき暴徒のようになったり、あるいは熱中するあまりに若者が武術の練習を怠って、国防上の問題にまでなった……などの例を見ていたらしい。帰国してみると、自分の国スコットランドでもフットボールを盛んにやっている。これではと、禁止令を布告したのだった。といって、スコットランドのこの競技が、すべてモブ(暴徒)フットボールであったわけではない。

 1815年12月5日に行なわれた試合の記述にはこういうのもある。
「エジンバラ南東のエトリックの森のカーターハウスでの試合は、セルカーク(SELKLRK)の人たちと、ヤロウ(YARROW)の人たちが、それぞれのチームを構成した。セルカークのバックアップをしたのは、詩人であり、弁護士であり、小説『アイバンホー』の作者でもあるウォルター・スコット。一方のチームの後ろ盾はホーム伯爵だった。  この試合を観ようと集まった人は2000人。何マイルも離れたところから観客が続々と詰めかけた。彼らは2枚の大判の紙片を持っていたが、それぞれに、この日のための特別のバラードが書かれていた。一つは、スコットの作であり、一つはジェームス・ホッグのものだった」。


(サッカーダイジェスト 1990年5月号「蹴球その国・人・歩」)

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