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対イングランドの“国際試合”

 スコットランドのサッカー発展に、FAカップやリーグの創設は欠かすことはできないが、最も人気があったのは、イングランドとの対抗戦。1870年には、すでに非公式ながら両国の代表が戦っているが、1872年から公式ゲームが始まる。後にウェールズと北アイルランドを加え、4協会による「ホーム・インターナショナル」(英国内国際試合とでもいうのか)となる。何かにつけてロンドンを中心とするイングランドに対抗意識を持つスコットランド人にとって、“両国代表”の対戦ほど心躍るものはない。
 以来、現在まで118年間に107試合を行ない、スコットランド40勝24分け43敗、得点168、失点188と、ほぼ互角となっている。初期にはスコットランドの技術や戦術がイングランドを上回り、1872〜92年の21年間は、スコットランドの11勝5分け4敗だった。
 これはスコットランドの選手が技術的に優れ、また、イングランドの攻撃はもっぱらドリブルとロングパスだったが、スコットランドは短いパスをつなぐようになっていたため、このパスの効果が大きかったといえる。

 サッカーの技術向上に励めば、仕事がおろそかになる。試合に出かけるためには、お金もかかる。その経費をクラブが負担し、仕事ができなかった(サッカーのために)分の給料を補償するようになりプロ化が進む。1890年代には、イングランド北部のクラブがスコットランドのプレーヤーを抱えるようになる。そこで、スコットランド協会は1893年にプロ化に踏み切った。
 こうして、技術の上がったプレーヤーがイングランドをやっつけるのを見たいと“国際試合”の人気はますます高まり、1894年には、セルティックはホーム球場を5万人に拡張し、さらに6万人に収容力を大きくした。
 19世紀に、すでに6万人もの収容力を持つスタジアムを造ったスコットランド・サッカーの根強さと大きさは、まことに素晴らしい。日本は2002年のワールドカップ開催のためといいながら、国立競技場以外のところでやっと5万人収容の競技場建設の計画が進みはじめたところなのだから……。

 大観衆の熱烈な応援を受けながら、対イングランドの国際ゲームは20世紀に入ってしばらくイングランドが優位に立つが、1920年代は再びスコットランドの時代となった。1920年から10年間のホーム・インターナショナルで、優勝7回の快記録。28年には“ウェンブリー・ウィザード”と呼ばれた輝かしい5−1の大勝も記録した。


(サッカーダイジェスト 1990年5月号「蹴球その国・人・歩」)

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