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プロで稼ぎ大学で学ぶ若者

 イングランドとの対抗戦に情熱を燃やし、また、経済力あるイングランドのクラブでプレーして収入を得る。こんなスコットランド・サッカーや、スコットランドのプロの図式に、新しくヨーロッパの舞台が加わったのは、第2次大戦を経て欧州にクラブのカップ戦が導入されてから。と同時に、イングランドとともに、第2次大戦以前はボイコットしていたワールドカップにも目を向けることになった。
 国際舞台で最初に成功したのは、欧州のクラブ・カップ戦。1967年にグラスゴー・セルティックがチャンピオンズカップで優勝し、その後もタイトルは取れないまでも上位にたびたび進出。また、グラスゴー・レンジャーズがカップ・ウィナーズ・カップのタイトルを奪い(72年)アバディーンも、その11年後は同カップを手にした。

 スコットランド最大の都市グラスゴーでも70万人、総人口500万人という背景からみれば、こうした国際舞台での活躍は、やはり、伝統と青少年を育てる力の証といえるだろう。89年に16歳以下のジュニアユース世界選手権を開催したもの、若い力を伸ばそうと努力の現れだった。

 東京オリンピックの翌年、スコットランドからやってきたスターリング・アルビオンは、上昇しようとする日本サッカーに良い刺激を与えたが、基本に忠実な彼らのプレーは、私の印象に強く残っている。
 このチームに小柄なホールというテクニシャンがいた。彼はプロフェッショナル・サッカーで学費を稼ぎ、体育大学の生徒として勉強中だった。あとで聞いたところでは、彼は学校を出て、現在は市の体育指導者になっているとのこと。イングランドのビッグ・クラブのスターとは違い、質素で、それでいてサッカーの技術もしっかりしているスコットランドの若者たちは、その頃から私に好ましい姿に映っていた。
 彼らの仲間がクラブレベルの成功から、代表チームでの成功へ踏み出してほしいと思っている。


(サッカーダイジェスト 1990年5月号「蹴球その国・人・歩」)

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