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スペイン語のほかに公用語

 1982年のワールドカップの開会式がバルセロナで行われたとき、スペイン・サッカー協会会長があいさつを一部カタルーニャ語で行なった。スペイン語よりも、むしろフランス語に近いカタルーニャ語は、現在でも、この地方でスペイン語とともに公用にも使われている。
 ひとつの国のなかにある2つの言葉に、いささか驚かされたのだが、北部のビルバオ市では、さらに「バスク語を使う」運動があった。バスク語というのは、地球上のほとんどの言葉とつながりがなく、覚えるのに非常に難しいとされている。そうした言葉をなお伝承し、フランス側のバスク人地域と、スペイン側を合わせて、ひとつの独立国にしようというグループもあった。その過激派、エタ(ETA)と呼ばれる一派は首相を暗殺したほどだった。


(サッカーダイジェスト 1989年4月号「蹴球その国・人・歩」)

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