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エウゼビオ(7)0−3からの逆転劇を演じ66年大会の得点王となり釜本邦茂にも影響を与えた

 少し前の話だが……。3月23日に京都で「釜本邦茂の日本サッカー殿堂入りを祝う会」があった。実際の殿堂入式典(2005年5月27日)からいささか遅れることになったのは、彼の母校である山城高サッカー部創立60周年記念を兼ねてということらしい。
 さすがに名門校とあって、京都府知事、市長といった名士の顔があった。私には第6代日本協会会長・故藤田静夫さんの夫人や、太秦(うずまさ)小学校時代の彼の恩師でもある池田璋也(いけだ・てるや)さんたちにお目にかかれたのはとても嬉しかった。1959年、第1回アジアユース大会の代表(当時、山城高生)だった西岡実君の元気な顔も見た。

 西岡君の世代より、うんと若い山城のOBに京都府警の機動隊長補佐という立派な肩書きを持つ亀田忠幸さんは、私と西大路の同じマンションに住んでいたということもあったが、その彼に、「今も読んでますよ。エウゼビオを」と言われた。「そう言えば、この人たちがサッカーに夢中だった頃、エウゼビオが来日したんだな」と思い起こす。風邪をおしての京都行きだったが、帰りの電車の中で釜本邦茂というプレーヤーの成長期から引退まで、そしてその後のつきあいの思い出の数々が湧き上がってくるのが嬉しかった。
 その中の一つに、いま連載中のエウゼビオから彼がヒントをつかむ――というのがある(いずれ、のちほどに……)。

 さて、66年ワールドカップでのエウゼビオとポルトガル代表は、1次リーグ3組の第1戦(7月13日)でハンガリーを破った。このグループでは、すでにブラジルが初戦(12日)でブルガリアを2−0で下し、15日にハンガリーと対戦。ブラジルのラインアップには故障のペレの名はなかった。
 東京オリンピックの得点王フェレンツ・ベネの右からのシュートが開始直後に決まり、ハンガリーにリードを許す。15分にトスタンが同点とするも、後半に入ってもハンガリーの勢いは止まず、1−3と敗れた。58年、62年と2大会連続優勝のブラジルは1954年以来の大会での敗戦となった――。

 ポルトガルは16日にブルガリアを3−0で破り(エウゼビオ1得点)19日にブラジルと対戦する。背水の陣となったブラジルはペレが戦列に復帰し、また、メンバーを大幅に入れ替えた。しかし、ペレはモラエスのファウルタックルで傷ついてしまう。実質10人となってエウゼビオのいる11人のポルトガルと戦うのは、ブラジルには酷な話だった。スコアは3−1。
 まず、14分にエウゼビオのクロスをGKマンガが防いだボールを、アントニオ・シモンエスがヘッドで決め、2点目はコナルのFKをファーポスト側のトーレスが折り返し、エウゼビオがヘッドで決めた。後半にポルトガルの猛攻をしのいだブラジルのリウドのゴールで1点差に迫られるが、終了5分前にエウゼビオが見事な右ボレーシュートを決めて3−1とした。この得点はエウゼビオのドリブルシュートが右CKとなり、このCKをトーレスがゴール右ポスト側へ落とし、走り込んだエウゼビオがボレーシュートで合わせたものだった。

 準々決勝のポルトガルの相手は北朝鮮だった。ミドルスブラを舞台とした第4組は、ソ連(現・ロシア)とイタリアが勝ち上がるとみられていたが、初出場の北朝鮮は対ソ連(0−3)対チリ(1−1)1分け1敗の後、イタリアを1−0で破ってこの組の2位となっていた。
 北朝鮮は、キックオフ直後から彼らの本能であるスピーディーなランプレーで、試合開始後の最初のゴールに続いて、2点目、3点目を奪い、3−0とリードを大きくした。ポルトガルが驚きと混乱から立ち直るにはゴールが必要だった。28分にそれが生まれる。シモンエスからのパスを受けたエウゼビオが決めたのだ。さらに、前半終り頃にPKを得ると、エウゼビオがゴール。1点差とした。彼はPKを蹴るときに「外れるなどとは思いもしなかった」と言う。
 56分、またもやエウゼビオが決めた。
 これもシモンエスからのパスだった。この後、エウゼビオが倒されて得たFKで4−3となる。ジョゼ・アウグストのゴールで5−3。0−3からの大逆転という記録が、エウゼビオの名とともにワールドカップの歴史に残った。

 準決勝の相手は、イングランド(7月26日、ウェンブリー)。サッカーの母国はボビー・チャールトンの働きで決勝への道を開く(2−1)。ポルトガルの得点は、PKでの1点だけで、3位決定戦に回ることに。そして、28日。ポルトガルはソ連を2−1で倒して、3位となった。1点目はエウゼビオのPK、2点目はトーレスだった。

 ヨーロッパ遠征中の日本代表は、このワールドカップの試合をウェンブリーで観戦して強い感銘を受けたのだが、若きストライカー釜本邦茂もまた、大会得点王エウゼビオのシュートに強い興味を持つことになった。


(週刊サッカーマガジン 2008年4月15日号)

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