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エウゼビオ(8)68年メキシコ五輪の得点王釜本が抑えの利いたシュートを学んだ

 66年のワールドカップ・イングランド大会で、エウゼビオはポルトガルの全19得点のうち9ゴール(うちPK4)を決めて大会の得点王となり、ポルトガルの3位獲得の大きな力となった。
 ファイナルのイングランド対西ドイツが大会初の延長となり、4−2でサッカーの母国が自国開催で初のタイトルを手にしたことで、この大会は大会氏に残ることになったが、エウゼビオを中心としたポルトガルのサッカーは、ともすれば勝負にこだわり、守備的になろうとする傾向の中で、攻める面白さとゴールのスリルを改めて世界に問いかけたといえる。
「ポルトガル代表は、フィールドに命を吹き込むアタッキングスピリッツと、最も傑出した個性エウゼビオを送り込むことで、この大会に光彩を添えた」とは、ロンドン・タイムズのコメントである。

 1968年5月下旬、日本サッカーがメキシコ・オリンピックに向かって代表強化の試合としてイングランドのプロの名門アーセナルを招いて試合を行なっていた頃、イングランドではマンチェスター・ユナイテッドがチャンピオンズカップ(現・チャンピオンズリーグ)決勝に勝ち残り、ウェンブリーでベンフィカと対戦した。ユナイテッドには、ボビー・チャールトンとノビー・スタイルズがいた。ベンフィカはコルナ、アウグスト、トーレス、シモンエス、エウゼビオたちポルトガル代表の顔が揃っていた。

 彼らにとっては、62年の優勝以来久しぶりのタイトル、63年にミラン、65年にインテルと2度決勝でイタリア勢に敗れて以来の決勝進出だった。対グレントラン(北アイルランド:○1−1、0−0)対サンテチエンヌ(フランス:○2−0、0−1)対バシャシュ(ハンガリー:0−0、3−0)と慎重に戦い、準決勝のユベントス(イタリア)戦は2−0、1−0の完勝。エウゼビオはここまで8試合で6得点を決めていた。
 ユナイテッドとの試合は、90分を終えて1−1。延長に入ってユナイテッドのジョージ・ベストが勝ち越しゴールを決め、疲れの出たベンフィカを4−1で破った。58年、雪のミュンヘン(西ドイツ=当時)空港での飛行機事故から10年目の勝利は、監督マット・バスビーにとっても、ボビー・チャールトンにとっても忘れることのできないものとなった。
 このウェンブリーの決勝が5月29日、日本では同月23日の対アーセナル戦で日本代表のFW釜本邦茂が、渡辺正からのクロスをダイビングヘッドによって1ゴール(●1−3)を決めて大いに士気を高めたのだった。この2年後、1970年の大阪万博の年に、私たちは来日したポルトガルのベンフィカとエウゼビオのプレーを見ることになる。

 8月下旬に来日したベンフィカは25日(神戸御崎3−0)29日(東京・国立4−1)9月1日(東京・国立6−1)と日本代表と3試合を行ない3戦全勝。圧倒的な攻撃力を見せつけたが、エウゼビオの個人プレーは、まさにマジックのようだった。ちょうどこの時期は、68年のメキシコ銅メダルの後、69年に釜本が肺炎のためにプレーを休止し、代表には70年3月から復帰したが、まだベストコンディションには遠い時期だった。彼の病によって停滞感の出始めた日本サッカー界にとって、エウゼビオのプレー一つ一つは驚異でもあった。
 その来日の中で、私の印象に残った一つに、神戸御崎での前日練習の後、釜本が自らエウゼビオにサインをもらった“事件”がある。大スターの来日はあっても、釜本が自ら色紙を差し出してサインを求める姿を、このとき初めて見た。ちょっと照れくさそうに釜本は、「この選手だけにはサインをもらっておきたい」と私に言ったが、それは彼がエウゼビオからシュートフォームを盗んだことになったのかもしれない。

 66年のワールドカップ・イングランド大会観戦で、若いストライカー釜本にとっては、エウゼビオの抑えの利いた強烈なシュートが強く印象に残ったらしい。
「なぜ、あの強いボールがバーを越えないのか」「なぜ上がらないのか」。
 記憶をたどり、フォームを頭の中で分離すると、立ち足がボールの真横でなく、足一つ分くらい前に踏み込んでいることに気付く。この踏み込みなら蹴り足はボールを上から叩くことになり、ボールは上がらない理屈である。
 ただし、理屈はそうだが、蹴り足の方が高くなり、第一ボールがちゃんと飛ばない。「これではダメ」と工夫しているうちに、エウゼビオほどに(真横より大きく上へ)立ち足を前へ持って行ってはダメだが、それよりも少し前程度に置けばうまくいくことに気が付く。ボールも抑えが利くようになった――という。
 抑えの利いた強烈なシュートのコツを、彼はエウゼビオのフォームから学び取ったということになる。


(週刊サッカーマガジン 2008年4月22日号)

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