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エウゼビオ(9)多才な芸の中でひときわ目立った抑えの利いたシュート

ハーフウェーラインと並行のドリブル

 1970年にベンフィカ・リスボンとともに来日したエウゼビオは、8月25日(神戸御崎)29日、9月1日(ともに東京・国立)と日本代表を相手に3試合。それぞれ3−0、4−0、6−1のスコアで大勝した。
 メキシコ・オリンピック銅メダルチームから5人が去り、チーム再建途上の日本代表と、ヨーロッパのクラブ王者を争う主力チームとの間に大きな開きがあった。
 その頃、私はスポーツ紙の運動部長という職にあって、取材に出かける機会は少なくなっていた。
 このシリーズでも、生で見たのは神戸だけだったが、それでも彼のシュートのうまさ、ボールのスピード、さらに機智あふれるプレーに感服したものだ。
 東京での試合で、左サイドから侵入し、ゴールラインに沿って進み、角度のないところからボールをすくい上げるようにしてゴールへ送ったシュートは、テレビのニュース画面で強い印象を受けた。
 また、神戸の御崎で、日本陣内に入ったところでの左サイドでのボールキープから、いきなりハーフウェーラインに並行に、つまり真横にドリブルしたのだが、とても面白かった。

 この真横へ――というより、グラウンドを横切るドリブルというのを、それまでの国内試合で一度見て、頭にひっかかっていたこともあった。1948年1月。朝日試合招待での早大WMW対全神戸経大(現・神戸大)で、神戸側の大谷一二さん(故人、1934年極東大会代表)が、右サイドからハーフウェーライン上を中央までドリブルした。前や斜めへのドリブルは見知っていても、ピッチを真横に動くドリブルは、おそらく初めてだったろう。スタンドがどよめいたのを今も覚えている。神大側の選手で出場していた私にも驚きだった。そんな意表を突くドリブルをエウゼビオがやってみせたことで、二重の印象となっていまに残っている。
 いわば、エウゼビオはシュートでもドリブルでもバリエーションが豊かで、時に応じ機に臨んで、当意即妙にやってのけていた。
 その多芸多才はまことに驚くばかりだが、何と言っても、エウゼビオの本領は“抑えの利いたシュート”そのものにある――と、私は思っている。

 デットマール・クラマーだったか、ノーマークのシュートをボカーンとゴールキーパーよりもはるか上へ蹴り上げてしまうのを「宇宙開発」と言ったのは――。以来、50年近く経っても「宇宙開発」を目にする。宇宙開発ほどに蹴り上げるのでなくても、ライナーではあっても距離とともにボールが浮きあがり、クロスバーを越えてしまうのを見る場合が何度もある。テレビでは、「良いシュートでしたが…」という声も聞かれるのだが…。


上から叩けば抑えられる?

 1936年ベルリン・オリンピックの逆転劇のとき、0−2から反撃の口火となる1点目を返した川本泰三さん(故人)とともに、50年代の日本代表の指導に関わった人だが、かつて私とこんな話をした。
「『シュートのときに、ボールがクロスバーを超すのは何故か』と選手たちに尋ねると、色んな答えが返ってきた。いわく、『腰が落ちる』。いわく、『踏み込み(立ち足)が遠い(真横より後方)』。いわく、『蹴り足がボールをすくっている』」。
「それぞれ間違ってはいなかったが、要はボールに下から力を加えることだろう。“ボールに下から力を加えないようにするためにはどうするか――”。そこでまた色々な意見が出たが…」。

 下からの反対――。
「ボールに上から力を加えれば、上がらないのではないか――」と。「エウゼビオの立ち足(踏み込んだ足)が、ボールの真横より前に置くということは、蹴り足がボール上から叩くことになる。ただし、立ち足をエウゼビオのように前に置くと、蹴り足の叩く角度も、力も難しく、下手をすると足を痛めてしまう。それをエウゼビオがやってのけるのは、彼の足首の強さや、彼のフォームなどで解決しているからだ。エウゼビオの形は、エウゼビオでなければできない。釜本邦茂が真似をしても難しいのは当然。しかし、シュートを上げないために、前述の上から叩くという考えはある」(以上、川本)。

 川本さんのシュートは、蹴り足で上から叩く感じ。この人のインステップキックは、ボールに当たるところは文字通り足の甲(インステップ)ではなく、足指の付け根に近い部分だった。
 シュートの名人と言われた川本さんのシュートは、私も一緒にプレーした1940−50年代に、ヒザの高さくらいのライナーがゴールポストぎりぎりに飛んで行くのをよく見たものだ。
 良い選手の模範となるプレーを生で見られ、映像を繰り返し見ることのできる今、シュート力を高めるために多くのサッカー人が、もっとボールを蹴ることに興味を持ち、意見を戦わせてほしい。エウゼビオの最終回にあたって、こんな願いが湧いてくるのである。


(週刊サッカーマガジン 2008年4月29日号)

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