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エウゼビオ【番外編】「ペレでも、キングでもない。私はエウゼビオ」

惜しかった40年前の元旦企画

「ストライカーの記憶」という連載を始めて、すでに60回――。
 登場した7人は、いずれもその時代に世界のトップとして活躍したプレーヤーだった。  自分が見たプレー、会って話をした印象をもとに、もう一度記録を探り、DVDなどで録画を見直して、自分の中でのイメージを再構築するという楽しい作業を続けた。
 資料を探してコピーを作り直す作業は、決して嫌いではないだけに、ときにはその面白さに溺れて、時間を忘れて、編集者にご迷惑をおかけしたこともありました。

 7人の最初は50年代のハンガリー代表キャプテン、フェレンツ・プスカシュ。2人目が、1970−80年のフランスの勝軍ミシェル・プラティニ。次が78年の地元アルゼンチンでのワールドカップの得点王マリオ・ケンペス。4人目が、西ドイツの爆撃機、74年西ドイツ・ワールドカップで活躍したゲルト・ミュラーだった。
 時代を少し今に近づけてみようと、5人目がオランダのマルコ・ファンバステン、88年欧州選手権のシュートは、今も世界最高のゴールと言われている。2006年にはオランダ代表監督に就任した。
 6人目にロナウド(本名ルイス・ナザリオ・ジ・リマ)を登場させたのは、昨年のトヨタプレゼンツFIFAクラブワールドカップのミラン(イタリア)で、ひょっとすると顔を見られるかも知れないという希望もあったから――。ブラジルの歴史の中でも上位に入るストライカーの彼は、今年またヒザの故障が出て、「いよいよ引退か」という声も出ている。

 エウゼビオ。その俊敏なプレーから“ブラックパンサー(黒ヒョウ)”などと言われた、東アフリカのモザンビーク生まれの黒人選手については、私自身は66年のワールドカップでは見ていないが、同じ大会でペレがけがを負ってブラジルとともに1次リーグで敗退して、「ペレに代わる新しいキング」としてもてはやされたことから、強い関心を持っていた。
 1968年のメキシコ・オリンピックで釜本邦茂が得点王となった後、69年元旦のサンケイスポーツに、彼のカラーフォトを掲載した。それにあしらう記事として、66年ワールドカップ得点王のエウゼビオから68年のオリンピック得点王へのメッセージを考えた――。結局は実現しなかったが、今でも「やっておけば」――との後悔が残る企画だった。


同世代の中での別格ストライカー

 エウゼビオが活躍した60年代は、日本サッカーが東京オリンピックに向かい、しゃにむに代表強化に進んでいた時代――。あのデットマール・クラマー(ドイツ)が大きな力となっていた。“東京”が過ぎ、メキシコで輝いた68年から2年後に大阪万博があり、その年の夏に、エウゼビオトベンフィカがやってきた。
 今のように、サッカー環境が整っているわけでもないのに、一握りの選手たちとその周辺の努力で、ようやくアマチュアのオリンピックベスト4に残り、3位となって銅メダルを手にした私たちから見れば、エウゼビオのプレーはただただ驚きだった。イングランドのアーセナルやブラジルのパルメイラスといったトッププロの来日もあり、それらの厳しさ、強さ、巧さを眺めることはできたが、エウゼビオは別格だった。

 DVDで古い試合を見れば、ピッチには多くのスペースがあり、ドリブル突破も、シュートも、今より余裕はありそうだが、ゴールに近づけば相手の守りが厚くなるのは同じこと。その守りを突破し、GKを打ち破って得点を重ねることは、生易しいことではなかった。

 1958年にティーンエイジャーで登場して、ワールドカップの決勝でもビューティフルゴールを決めたペレは、すでに“キング”と呼ばれていた。
 エウゼビオの軽やかなステップからのダッシュと、それに続く“弾丸ライナー”のシュートは、まさにペレを凌ぐ新しい魅力と言えた。彼自身は、自分の書きものの中で「ペレと比べるのは難しいことだが、ペレはやはりペレ。キングは彼であって、私は彼の域に達することができるとは思わない」と謙虚に語っている。と同時に、「私はペレではない。私は『エウゼビオ』なのだ」とエウゼビオであることを自負している。
 それは、彼自身がペレでなくても、東アフリカのモザンビークで10歳からサッカーに明け暮れて、ひたすら打ち込んでつくり上げてきた自分のプレーに自信を持っているからだと言える。他の人にマネできない抑えの利いたシュート一つとっても、彼が得点を取るために編み出した形の一つだった。

 エウゼビオに限らず、紹介したストライカーの誰もが、10代の頃の反復練習によって自分のプレーの形をつくり、それを基盤にして一流の座へ上がっていったことを、この番外編で言っておきたい。


(週刊サッカーマガジン 2008年5月6日号)

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