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チリの首都、サンチアゴの歴史

 チリの首都、サンチアゴは、この国の全人口のうち約40%が集中する政治、経済、文化の中心地だ。標高約500mの高原都市で、「南米の屋根」といわれるアンデス山脈から延びる山並が、まずこの町を訪れた人々の目を奪うことだろう。地中海性気候に属するこの地域は、ひじょうに過ごしやすい土地柄といわれ、木々の緑が豊富な市内をわたる風は夏でも肌に心地よい。

 この町の始まりが、現在のチリの歴史の始まりだった。16世紀はスペイン人たちが中南米の各地に進出した時代だが、チリもその例外ではなかった。1540年にこの地へ侵入したペドロ・デ・バルディビアは、インディオのアラウカーノ族の抵抗を退け、翌年2月12日、サンチアゴ市を創設した。バルディビアは町の中心としてアルマス広場を設けたが、現在は彼の騎馬像がここに立っている。

 以後チリは、ペルーの副王に直属する総督の支配下に入るが、19世紀になると独立運動も活発になってくる。1814年、オイギンス将軍率いる独立軍はスペイン軍と戦ったが敗れ、サンチアゴは占領される。しかし3年後、オイギンスはスペイン軍を撃退してサンチアゴを奪還し、チリ初代大統領となった彼は1818年2月12日に独立を宣言した。植民地時代の建築は市の中心部に数多く残され、当時の面影をいまに伝えている。

 碁盤の目のように規則正しく区画された中心街には、朝夕のラッシュ時ともなると人があふれ、車がひっきりなしに行き交う活発な市民生活が展開する。こうした人々の憩いの場は、市内のサンタルシアの丘や森林公園、そして郊外のサンクリストバルの丘。恋人たちの語らいや、家族連れの散策にとって、格好のスペースを提供している。

 サンチアゴのサッカーファンの注目は、いまこの国から生まれた初の南米チャンピオン、コロコロのトヨタカップにおける戦いぶりに向けられている。12時間もの時差がある太平洋のはるか対岸において、チリのナンバーワンチームはどのような試合を見せてくれるのか。「コロコリーノ」(コロコロのファン)ならずとも、関心の高い話題である。


(1991年 第12回トヨタカップ プログラムより)

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