賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >1987年南米選手権でのチリ

1987年南米選手権でのチリ

 リベルタドーレス杯でのコロコロの優勝は、コパ・アメリカでのチリ全国民の期待を一層高めることになる。
 各国がナショナルチームの再編成、あるいはモデルチェンジをする時期だけに経験の浅い選手の起用もあり得る。とすれば、コロコロを軸として、十分な準備のできるチリにとって、優勝は夢ではない。実際、30年前の1962年、あのチリ大地震の翌年に開催したワールドカップで、ブラジル、チェコに次いでチリは3位に輝いたではないか。
 そしてまた1987年、アルゼンチンでのコパ・アメリカで、チリは新顔を揃えたブラジルを4−0の大差で破り、ベネズエラも3−1で一蹴。バルデラマとイギータで大会に旋風を起こしたコロンビアをも準決勝で2−1と倒した。決勝はウルグアイの守備的な作戦にしてやられ、0−1で敗れて2位となったが、中盤からのタイトなディフェンスと両サイドからの攻撃で、魅力あふれるチームだった。

 この87年大会はアルゼンチンが開催国として、86年ワールドカップの優勝メンバーのほとんどを並べた。マラドーナは86年の破壊力はなかったのもの、最高のテクニックを見せていたが、バルダーノとブルチャガという二人の大きな動きのできる仲間を欠いて、チームは特色を失っていた。選手一人ひとりのコンディショニングも悪くて、世界とサポーターを失望させた。
 ブラジルはジーコ、ソクラテス、ジュニオールたちから若い層への切り替えで、可能性を持ちながら冷静さを失い、ウルグアイもまたファウル連発の守備重視という、これまでの枠から出ることはなかった。86年メキシコ大会で評価の高かったパラグアイも、トレーニング不足から彼ら特有のショートパスと浮き球による突破を成功させることはできなかった。

 こうした3強への不満、大会のフラストレーションを和らげてくれたのが、天衣無縫のコロンビアと、激しく、意欲に満ちたチリの2チームだった。
 信じられないほど難しいボールを何度も防いだGKロハス、長身で、ここと言うときにヘディングでゴールを奪うDFアステンゴ、MFのピサーロ、バサイやレテリエルのサイドからの攻めは、久しぶりにチリを生で見た私には大きな収穫だった。
 1974年の西ドイツ・ワールドカップで西ドイツと戦ったチリ(0−1)あるいは1982年スペイン大会でやはり西ドイツに敗れたチリ(1−4)とは、ずいぶん違った印象だった。
 それは、あるいはチリの経済が南米各国の中で安定しているという社会的な背景があったのかもしれないが、私にとってこのときのチームは、再びチリへの興味をかきたてることになった。

 残念ながら、1987年アルゼンチン大会でのチリの活躍は、次の89年ブラジル大会にはつながらなかった。
 試合方式を変えて、10ヶ国を5チームずつの2組に分け、それぞれ総当たりリーグの後、各組上位2チームずつの4チームによる順位決定リーグ(今回も同じ)を行なったが、1次リーグ第2組でチリはアルゼンチン、ウルグアイに敗れて3位に終わり、決勝リーグには進めなかった。
 このコパ・アメリカ89に続くのが、90年イタリア・ワールドカップの南米予選7月30日に始まった南米第3組、ブラジル、チリ、ベネズエラの3カ国から1国を選ぶリーグは、9月3日ブラジルーチリ戦(リオ)までに5試合を終了。ブラジルとチリがそれぞれ2勝1分け、得失点差はブラジルが10−2、チリは9−2。リオの試合でブラジルが引き分ければ得失点差でブラジルがこの組のトップになり、イタリアへの出場権を得る。チリにとってはアウェーで勝たなければならぬ、難しい状況となっていた。

 そんななかでキックオフしたブラジルーチリは、前半0−0から後半4分にベベトからのパスを受けたカレッカがチリのDFを突破してシュート。GKロハスの伸ばした手は、わずかに指が触れただけで防ぐことはできず、ゴールに飛び込んだ。ブラジル1−0チリ。14万人の大観衆の喜びと興奮のうちに進んだ試合が、65分に不可解な決着を見る。スタンドから投げ込まれた花火がGKロハスの近くに落ちた。ロハスが倒れ、仲間がロハスをロッカールームに運ぶ。
 チリ側は「ロハスが花火で負傷した。こうした警備不十分なスタジアムでは試合を続ける事は不可能だ」と言い、FIFAの安全保障にもかかわらずフィールドには戻らないで、試合続行は不可能となった。
 のちのFIFAの裁定で、ロハスに花火は当たっておらず、当たったと偽って試合を中止させようとしたとして、サッカーのプレーから無期限の追放となった。
 代表チームの主将で、数多くの試合でピンチを防いできた優れたゴールキーパーへの処分と同時に、FIFAはチリFAに対して1994年のワールドカップへの参加資格を停止した。今回のコパ・アメリカ開催にかけるチリの誠意は、単に代表チームが優勝を狙うだけではない。

 1916年にブエノスアイレスで最初の南米選手権が開催されてから、今年は75周年となる。その長い歴史の中で、チリは今度の大会を最高のものにしたいと願っている。スタジアムの大きさや立派さではブラジルやアルゼンチンにかなわない。リオのマラカナンやアルゼンチンのリバープレートなどは南米の誇るサッカーのモニュメントだが「そんな巨大な施設はなくても、チリ大会は組織運営の点で、これまで以上といえるようにしたい」とチリFAのA.アロンソ会長は言う。


(サッカーダイジェスト 1991年8月号「蹴球その国・人・歩」)

↑ このページの先頭に戻る