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ナポレオンとベルギーとサッカー

 ベルギーの首都ブリュッセルを訪れる観光客は、たいてい南郊20キロにあるワーテルローまで足を運ぶ。

 1815年、再起を図ったナポレオンが、エルバ島を脱出して兵を集め、6月18日にウエリントン将軍(英国)の連合軍と大決戦を展開した。フランス軍7万2000、連合軍6万8000、ヨーロッパの運命をかけたこの戦いは、一時は苦境に立った連合軍が、プロシアの援軍到着で盛り返して勝利を収め、フランス軍は敗走、ナポレオンの「百日天下」はここに終わったのだった。このことは、ベルギーがヨーロッパの中心地域であり、絶えず大きな勢力のぶつかり合った例のひとつだが、わたしには、勝者となったウエリントン将軍の言葉、「ワーテルローの勝利はイートンの校庭にあった」に心が魅かれる。

 イートン校というのは、指導層となる英国人青少年のための名門パブリック・スクール。この学校教育で養なわれる不屈の精神が、ワーテルローの勝利に結びついたというふうに理解されている。1440年創立のイートン校では、16世紀ごろから古い形のフットボールが行なわれ、後に、ここのグラウンドに合わせた独特のゲームが盛んになっていったという。

 ウエリントン将軍の「イートンの校庭」がこの学校のスポーツを含む教育の意味であるとすれば、サッカーという競技は、ヨーロッパの運命を決したワーテルローにもかかわっていたことになり、同時にベルギーとサッカーのかかわりも、このあたりから始まったといえる。


(サッカーダイジェスト 1989年11月号「蹴球その国・人・歩」)

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