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ロマーリオ(5)94年米国大会準決勝。ヘディングの一撃でブラジルが24年ぶり決勝へ
ワールドカップのアジア3次予選が再開して、そのオマーンとの第1戦に勝った日本代表のアウェーが続くことになる。
病から回復して、日本協会のアドバイザーとなったイビチャ・オシムさんが、「日本のサッカーはまだまだ伸びる。努力すれば世界一にもなれる」と記者会見で語ったそうだが、6月2日のオマーン戦での見事な試合展開と、その後に続く選手たちの談話を聞くと、そういう望みがないでもないとも思えた。
左CKで遠藤保仁の見事なキックと、それに合わせた闘莉王と中澤佑二の2人の空中協調作戦の巧さと強さ。2点目のCBの闘莉王がFWのポジションへと飛び出してゆく発想と、それに合わせた中村俊輔のロングパスの正確さ。大久保嘉人の動きの連動性と、俊輔に十分な時間を与えるための長谷部誠の相手側のコース閉鎖の巧さ――こうした協調プレーが短時間の合同練習で生まれたのは、まことに嬉しいことだ。
ただし、今回のオマーンは主力の半分が欠けていたというから、これら局面での一つ一つの競り合いに、相手のレギュラーがいればどうだったのかは分からない。俊輔へのマークも厳しくなってくるだろう。これからのアウェー試合は暑熱という敵も加わる。動きの量を基調とする日本代表が、この条件をどのように克服するか――はるかに選手、監督、コーチの健闘を祈ることになる。
それにしても強い意欲を持ったチーム、ゴールを奪う気迫のある試合の面白さは、何物にも代えがたいことを再認識したのが6月2日だった。
2点目のシーンで、私は思わず心の中で、「(長沼)健さん、こんなゴールの取り方をしましたよ」と亡き日本協会最高顧問、メキシコ・オリンピック銅メダル監督に向かって語りかけていた。
さて、連載のロマーリオ。
彼が本能を発揮した94年ワールドカップ米国大会。ブラジル代表は、堅い守りを基礎にロマーリオ、ベベットの2人のFWの得点力で、1次リーグを突破し、第2ラウンドでも開催国の米国を退け、準々決勝で強敵オランダを倒して準決勝へ勝ち上がってきた。
オランダ戦でベベットがゴールしたとき、両手を前に突き出して左右に揺するジェスチャーは、2日前に生まれた彼の赤ちゃん(マテウスと名付けた)へ捧げる“ゆりかご”の祝福でもあった。不仲をささやかれていたロマーリオとマジーニョが加わっての3人のポーズは、翌日の新聞に大きく掲載され、テレビで全世界に伝えられた。日本でも真似をする選手が多く、Jリーグでも見かけるようになった。
米国のダラスでブラジルが勝った7月9日、ボストンではイタリアがスペインを2−1で下した。
次の7月10日、ニュージャージーでブルガリアがドイツを、サンフランシスコでスウェーデンがルーマニアを倒した。私はこの日、ダラスからサンフランシスコへ飛び、スウェーデンが延長PK戦で勝つのを見た。7月13日の準決勝は、ニュージャージーでブルガリア対イタリア、ロサンゼルスでスウェーデン対ブラジルだった。
1次リーグでブラジルと1対1の接戦を演じたスウェーデンだが、実力の違いは明らかだった。ただし、力の通りの結果となるとは限らないのがワールドカップ。なにしろ強国ブラジルは、1970年のペレ円熟期の優勝以降は、決勝進出は一度もないのだから。ローズボウル・スタジアムに集まったブラジルのサポーターは、圧倒的にボールをキープするカナリア軍団(ブラジル代表の呼称)が、シュート、またシュートを繰り返しながら得点できないのを我慢強く待つことになる。
80分にようやく待望のゴールが生まれたが、やはりロマーリオだった。ベベットが右へ上がってきたジョルジーニョにパスを送り、ジョルジーニョのクロスの落下点でロマーリオがヘディングし、ファーポスト際へ決めた。
GKトーマス・ラベリと、全員の守りで防いできたスウェーデンにとって、この失点の前にヨナス・テルンがドゥンガを蹴って退場処分。10人となったのも響いたが、ジョルジーニョの走り上がりへのマークの遅れを見たベベットの狙いと、後に鹿島でも活躍するジョルジーニョの巧みなクロス、ここという瞬間を逃さないロマーリオの合作で、24年ぶりにブラジルの決勝進出が決まった。
70年のメキシコ大会での決勝(ブラジル4−1イタリア)82年の2次リーグの激闘(イタリア3−2ブラジル)を知る者は、強国同士の対決によっていささか広すぎた土地での長かった大会が、良い結末を迎えることになることと期待した。ケガから回復した当代随一のDF、イタリアのフランコ・バレージに、ロマーリオがどのような戦いをするかが注目された。
(週刊サッカーマガジン 2008年6月24日号)