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ロマーリオ(6)94年、過酷な条件下での優勝。守備重視のチームを支え、少数攻撃で勝ち続けた

 EURO08が始まった。
 現代のヨーロッパのストライカーたちもとても面白い。グループステージでドイツがポーランドを破った試合のルーカス・ポドルスキの左足ボレーなどは、あの意外なチャンスにきちんと、自分の高さで蹴るところは、さすが――という感じがした。
 アウェーのオマーン戦の引き分けは立派な成績だが、もしあの状況で勝つなら、やはりシュート力を高めることだろう。それについては、また別の機会に――。


 さて、連載のストライカー、ロマーリオ。1966年1月29日生まれの彼は、28歳の充実期に、94年米国ワールドカップで王国ブラジルのFWとして出場して世界一のタイトルを手にするのだが、イタリアとの対決は、まことに熾烈なものだった。
 94年7月17日、12時半。ロサンゼルス郊外のローズボウル・スタジアムは、9万4194人の観客で埋まった。
 予想通り、ブラジルが攻め、イタリアが守って、ときどきカウンターという形になる。
 ブラジルはGKタファレル、右にジョルジーニョ(20分にカフー)左にブランコ、中央の2人はアウダイールとマルシオ・サントスの4人。ドゥンガとマウロ・シウバがボランチ。マジーニョ(106分にビオーラ)とジーニョが開き、FWはベベットとロマーリオと、これまでと変わらぬメンバー。

 イタリアもリベロのフランコ・バレージが復帰。ケガを抱えたロベルト・バッジオも当然ながらスターティング・ラインアップに入り、もう一人のFWにはダニエレ・マッサーロを持ってきた。
 前半のイタリアは、そのマッサーロのシュートが一本あっただけ。

 ブラジル側は、12分にドゥンガの右からのクロスを、ロマーリオがヘディングした。最初の決定機から、「これは」と思わせるのが前半に4本。ロマーリオの最初のノーマークのヘディングがGKジャンルカ・パリウカの腕にすっぽり入ったのが“不運”の始まりだったのか、ドゥンガ→ロマーリオ→ベベットとつないで、2度目も…。ブランコの30m強のシュートがポストを直撃し、跳ね返ったビッグチャンスもマジーニョが空振り、といった具合。バレージの最終ラインのコントロールの巧さが、微妙にブラジル側のシュートのタイミングを狂わせていると、イタリアびいきは見るだろうし、ブラジル側の気負い、あるいは疲れとの見方もあるだろう。
 それにしても堅守イタリアの多数守備の中へ切り込んでゆくロマーリオ、ベベットの攻撃力には、改めて目を見張った。
 後半に入っても老獪なイタリアは、攻撃にはそれほど気がないように見せつつ、ロベルト・バッジオのパスや、自身の反転シュートが出始めて、ブラジル・サポーターもヒヤリとする場面をつくる。

 ロマーリオとベベットのドリブルと、パス交換は、相変わらずの匠さだが、パリウカ、バレージのイタリアの粘り強い守りは続き、75分、マウロ・シウバの20mほどのシュートをパリウカが弾いてクロスバーに当てたときも、そのリバウンドさえパリウカの上に落ちてくる。

 90分間0−0のまま延長に入ってブラジルのチャンスのあと、イタリアがロベルト・バッジオのシュートチャンスをつくり出、しタファレルがファインセーブで防いだ。動きの量が落ちて、空白地帯が大きくなって互角の形成となったが、ブラジルの守りもイタリア同様に堅かった。

 記者席から向かって右側のゴールで行なわれたPK戦では、イタリアが先に蹴りバレージが失敗(上を越す)。マジーニョが失敗(止められる)。2人目はデメトリオ・アルベルティーニがピシャリと左下へ。ロマーリオが例のスタートを遅らせてからのキックで成功。ただし、ゴール左ポストに当てて入ったのだから、いささか危険でもあった。
 イタリアのアルベリゴ・エバニ、ブラジルのブランコと3人目が成功。4人目のマッサーロが失敗し、ドゥンガ主将が決めて、ここで3−2と優位に立つ。イタリアは、なんとロベルト・バッジオのキックがクロスバーを越えてしまい、ブラジルがPK戦で4度目の優勝をつかんだ。

 70年メキシコ大会のペレのチームのような“快勝”ではなかったが、暑熱の日中の過酷な条件下でブラジルは、また新しい歴史を築いた。
 それまでのブラジルの伝統であるカラフルで攻撃的なプレーとは違った手法をカルロス・アルベルト・パレイラ監督は採ったが、その守備の強さがこうした難しい試合をも制したといえる。
 ただし、その手法を成功させ、大会で勝ち続けたのは、ロマーリオとベベットの2人のFW、特にロマーリオの決定力があったからだといえる。ペレの時代ほどの攻撃的なタレントがそろわなくても、優勝した――。この大会の経過を見れば、ロマーリオの自負もまた不思議ではないように見えた。


(週刊サッカーマガジン 2008年7月1日号)

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