賀川サッカーライブラリー Home > Stories > >ユルゲン・クリンスマン(1)96年W杯、96年EUROと2つのビッグタイトルを手にしたドイツ代表の国際派ストライカー

ユルゲン・クリンスマン(1)96年W杯、96年EUROと2つのビッグタイトルを手にしたドイツ代表の国際派ストライカー


 すごい勢いでグループステージを勝ち上がったオランダが、オランダ人監督フース・ヒディンク率いるロシアに敗れ、評判の良かったポルトガルがドイツに屈し、トルコが粘りに粘ってベスト4まで上がってくる。ユップ・デアバル(故人。釜本邦茂を指導したドイツ人コーチ)の口グセ「何でも起こる。これがフットボール」を思い出した。
 最後はスペインとドイツの対決となって、“上手で強い”スペインが勝った。
 クラブチームは強くても、ナショナルチームはなかなかタイトルを取れない――とされていたのを覆したのだが、選手たちの特徴を生かした何人かでのボールキープの上手さと、守備がしっかりしたことさらにいうなら、良いストライカーがいることがタイトル獲得につながった。

 嬉しかったのは、アンドレス・イニエスタをはじめとする4人の小柄なミッドフィルダーたちが見せた「ペナルティエリアの幅」での攻め。彼らは柔軟なボールの持ち方と、仲間との間の短いパスのやり取りで相手にボールを取らせない。それでいて、ボールを回すだけでなく、最終ラインの裏へ、外から中央部へ、ズバリとパスを送り込んでくる。
 突っかけるときもあるが、相手を前にしてもパスを出すこともある。その時の足の振りが小さい。その振りの小さなキックで届くところに仲間がいる――ペナルティエリアの幅というのは、ピッチ全体の幅よりは狭いが、縦が16m50cm、横はその2倍にプラス7m32cmだから約40mあって、動きようによっては、結構スペースがあることを彼らは見せていた(あるときのG大阪もそうだったが…)。
 そして彼らが相手を前に置いて、ちょっと“ずらして”パスを出すときのキックがサイドキックだけでなく、インステップあり、チップキックありで、“小さな足”の利便を存分に使っているのが嬉しかった。

 ここのところ、ヨーロッパで小柄な選手の効能を見直す傾向があるらしいが、今度のスペイン勢はその良いところが出たとも言えるだろう。
 ただし、フェルナンド・トーレスのように体格も良く、スピード抜群のストライカーや、タイプの違うダニエル・ギサ、ダビド・ビジャなどの優れたストライカーが育ったのはすごい。もちろん、GKイケル・カシジャスと、カルラス・プジョルたちDFもしっかりしていた。
 ここしばらくスペイン代表についての話題が日本でも多くなるだろう。形やポジションの配列だけでなく、どうすればあの程度の技術に達するかを考えてみたい。国内リーグに外国からの選手が多くても、国内で良いプレーヤーが育つことを見せてくれたことも、私たちのヒントになるかもしれない。


 さて、『ストライカーの記憶』は、この号からしばらくユルゲン・クリンスマンに――。
 06年ドイツ・ワールドカップで、ドイツ代表の監督だったことでも知られている。そのときアシスタントコーチだったのが、ヨアヒム・レーブ(現・ドイツ代表監督)。しばらく低迷していたドイツ代表が06年には3位となり、今度も下馬評から優勝を争うとみられていた。
 いわば、ドイツ代表の復活に力を発揮したクリンスマン“前監督”だが、この人自身はストライカーとして、87年から98年フランス・ワールドカップでの対クロアチア戦まで、13年にわたって108試合に出場し、47ゴールを記録したストライカーだった。
 代表のキャリアとしては、EURO88、92、96に出場、ワールドカップには90、94、98年とそれぞれ3回出場し、90年は世界チャンピオン、96年には欧州チャンピオンに輝いている。
 そして88年、お隣の韓国で開催されたソウル・オリンピックでは銀メダルを獲得。準決勝ではブラジルと1−1で延長でも決着がつかず、PK戦の末敗退。3位決定戦でイタリアを下した。

 ドイツのクラブではシュツットガルト(84−89年)バイエルン・ミュンヘン(95−97年)とブンデスリーガで活躍し、前者で156試合79得点、バイエルンで65試合31得点を積み重ねている。ドイツだけでなく、インテル(イタリア)モナコ(フランス)サンプドリア(イタリア)トットナム(イングランド)といった欧州のビッグクラブでもプレーし、バイエルンでもインテルでもUEFAカップの優勝をつかんでいる。
 残念ながらヨーロッパでの最優秀選手の栄誉には届かなかったが、ドイツでは88年と94年に二度、イングランドでも95年に優秀選手となっている。
 国際派で優れたストライカーで、代表監督でも成功し、来季からは、昨季のリーグ王者バイエルン・ミュンヘンの監督に就任することになったクリンスマンの選手時代を、次号から眺めていきたい。


(週刊サッカーマガジン 2008年7月22日号)

↑ このページの先頭に戻る