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ユルゲン・クリンスマン(2)9歳時に1試合16ゴール。EURO88で注目を集める


 EURO(欧州選手権)08は、老フットボーラーたちの昼食会(二水会)でも話題になり、体格の小さなスペインのミッドフィルダーたちから学ぶところがあるはず――といった意見も出ていました。
 先号で、そのスペインのミッドフィルダーたちの攻撃が「ペナルティエリアの幅」をうまく使っていると書きました。
 小柄な選手のキックは大型選手に比べると短いのが普通――。したがって、タッチライン近くからゴール前へパスを送るよりも、ペナルティエリア近くからの方が、届きやすい。ニアポスト側なら16m50cm、ファーポスト側なら23mの範囲だから、小柄なプレーヤーにとっても自分たちのコントロールとキックを生かせる距離なのです。そういう意味で、ペナルティエリアの幅という言葉を使いました。
 このスペイン代表と小柄な選手については、別の機会にお話しするとして、連載のテーマである、ユルゲン・クリンスマン(ドイツ)の2回目に入りましょう。

 彼が生まれたのは1964年7月30日。私たち日本のスポーツ界には、東京オリンピックの開幕(10月10日)を控えた大事な時期――。日本代表は総仕上げのために、7月下旬から1ヶ月半にわたるソ連、欧州遠征の最中だった。
 生地は南ドイツのバーデンビュルテンベルク州の州都シュツットガルトから南東43kmの場所にあるゲッピンゲンという小さな町、そこのパン屋の息子として生まれた。
 サッカーを始めたのは近くのアマチュアクラブTBギンゲンの少年チーム。さらにSCガイスリンゲンへと移り、1978年にはレギオナルリーガ(ドイツ3部リーグ)のシュツットガルト・キッカーズに入った。
 少年期には体操もバレーボールも上手だった。一番気に入っていたのはサッカー。9歳のとき、彼のチームは20−0で勝ったが、うち16ゴールは彼が決めた。ガイスリンゲンの下部組織で4シーズンの彼のゴールは250得点――などというエピソードが残っている。

 彼の体の強さ、急激に加速するスピードに注目したブンデスリーガのシュツットガルトが1984年に契約を結ぶ。ここからブンデスリーガを舞台にしてのクリンスマンの活躍が始まる。87年には西ドイツ代表に入り、南米遠征ではブラジルとの対戦にも出場した。その87−88シーズンは19得点で、リーグの得点王となり、対バイエルン・ミュンヘンで決めたオーバーヘッドキックのシュートは、テレビの視聴者の投票で、「シーズンの最優秀ゴール」に選ばれた。

 1988年、西ドイツで開催されたEURO88は、開催国・西ドイツにとって72年、80年に続く3度目の優勝のチャンス。ベテランのルディ・フェラーとともに24歳のクリンスマンの得点力は大いに期待された。
 強敵はオランダだった。ルート・フリット、フランク・ライカールト、ロナルド・クーマンといった攻守に中心となるスターが揃い、ストライカーのマルコ・ファンバステンはケガからの立ち直りが期待されていた。
 大会は参加8チームを2組に分けてグループステージを行ない、各組上位2チームが準決勝に進んだ。
 西ドイツはイタリア、デンマーク、スペインと同じ第1組。

 6月10日、デュッセルドルフでの対イタリアはアンドレアス・ブレーメのFKで勝った。EURO初登場のクリンスマンに得点はなかったが、クロスバーを越すヘディングシュートでその力を見せた。
 6月14日、ゲルゼンキルヘンでの対デンマーク。クリンスマンはフェラーと相手GKピーター・シュマイケルが絡んだルーズボールをシュートして先制点を挙げた。デンマーク代表は4年前のフランス大会からチーム力が充実し、86年のメキシコ・ワールドカップのグループステージで西ドイツに勝っている。そのデンマークに対する9分の彼のゴールは、チームに勢いを付け、EUROの2勝目をもたらした。
 6月17日、ミュンヘンでの対スペインは、フェラーの2ゴールで勝ち、3戦全勝となった。このベテランの代表での久しぶりのゴールを演出したのもクリンスマン。ローター・マテウスのパスがスペインの選手の足に当たってこぼれたのを奪ってキープし、フェラーの得意の右足へ狙ってパスを流してシュートチャンスをつくった。
 ボールを奪ってからのペナルティエリア際での落ち着きと、ルーズボールへのスタートの速さ、さらにはスライディングでそれを阻止しようとした相手をジャンプしてかわした軽やかさに、ユルゲン・クリンスマンというプレーヤーの個性が表れていた。
 準決勝の相手はオランダだった。


(週刊サッカーマガジン 2008年7月29日号)

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