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ユルゲン・クリンスマン(5)プレーに美しさが増し、1次リーグを首位突破。再びオランダと対決へ


 90年ワールドカップ・イタリア大会は、ミラノで前回大会チャンピオンのアルゼンチンがカメルーンに敗れるという波乱の幕開け。その2日後、同じミラノでのグループステージD組第1戦で、西ドイツがユーゴスラビアに4−1で快勝した。
 ユーゴ代表の監督は、あのイビチャ・オシム監督(前日本代表監督)。選手には、サフェト・スシッチ、ズラトコ・ブヨビッチといったベテランや、ドラガン・ストイコビッチ(現・名古屋監督)デヤン・サビチェビッチといった実力者がいて、そのテクニックの高さ、キープ力、展開力には定評があった。

 試合はじめは彼らの技巧が冴えて、西ドイツはしばらく守備に回った。20分頃から盛り返して、28分にローター・マテウスが先制。ペナルティ・エリアぎりぎりで反転し、左ポスト際へ決めた。
 この11分後に、今度はユルゲン・クリンスマンがダイビングヘッドした。
 早くて大きな展開に続くクリンスマンのヘディングは、飛び込んで方向を変えてファーポストぎりぎりに送り込んだが、DFの視野の外の中央からニアへの入り方、ヘディングそのものの美しさと、見事なタイミング。絵に描いたようなゴールだった。
 後半にダボール・ヨジッチのゴールでユーゴが1−2とすると、西ドイツはマテウスが63分に今度は右足の強シュートを叩き込み、さらにルディ・フェラーが4点目を加えた。

 この試合で強く感じたのは、インテル(イタリア)の3人(マテウス、アンドレアス・ブレーメ、クリンスマン)と、フェラーとトーマス・ベルトルトのローマ組2人のセリエAでプレーしている西ドイツ選手のフォームが美しくなっていることだった。形がきれいに、バランスが良くなって、動きに無駄がなくなり、スピードも増していた。
 クリンスマンは、もともと形の良いプレーヤーだったが、この日のダイビングヘッドでも、空中に浮かんだ姿勢の見事さは、プレスセンターのビデオで何回も見直したほど。この会心の勝利に続いて、6月15日に西ドイツはUAE(アラブ首長国連邦)と対戦した。アジアから韓国とともに出場したUAEはすでに1敗。この試合は守備第一で、どこまで無失点でいけるかに懸けていた。
 その他数防衛をパスとドリブルと果敢な突進で崩しにかかった西ドイツだが、30分間は無得点。クリンスマンは左と右のポストに当て、フェラーは2本上に外した。

 しかし、間断ない攻めは、やがてゴールを生む。
 右サイドにスペースを見出したクリンスマンにボールが渡り、ペナルティ・エリア外から中央へグラウンダーのパスを送る。フェラーのマークは一人だけ。その相手より早くフェラーがタッチして、ゴールへ流し込んだ。
 この35分の先制点で気落ちした相手に、今度はクリンスマンのヘディングが襲う。右サイドのシュテファン・ロイターが高いクロスを送り、クリンスマンが相手側の取れない高さで叩いた。2−0。勝敗は明らかとなり、5−1で大勝した。

 D組の3戦目の相手はコロンビア。87年の南米選手権(コパ・アメリカ)で金髪のプレーメーカー、カルロス・バルデラマの巧みな配給と、超前進守備のGKレネ・イギータと、巧みなオフサイドトラップを使った守りで注目された。
 突破力のあるFWもいて、西ドイツにとってもタフな戦いとなった。右サイドのブレーメの欠場も響いて、西ドイツは88分間無得点だった。88分のゴールは、フェラーが右から中央へ、相手DFラインの前を真横にドリブルして、左のスペースへパスを送り、ピエール・リトバルスキー(前福岡監督)が決めたものだった。この“奇手”を使ったフェラーはさすがだったが、クリンスマンもこのとき中央で相手DFを引きつける役を務めていた。1−0のリードは、バルデラマの一発のスルーパスで同点に終わったが、このときの西ドイツが1点を守ろうとせずに、なお攻めに出たところ(そのために奪われカウンターを受けた)に、興味を持った。
 いずれにしても2勝1分け。10得点3失点でD組首位で第2ラウンドへ進んだが、ここでまた、いきなりオランダとの対決が待っていた。


(週刊サッカーマガジン 2008年8月19日号)

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