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ユルゲン・クリンスマン(9)94年W杯開幕戦で勝利のゴール、米国大会で5得点を記録

 94年、米国でのワールドカップ(W杯)は、ユルゲン・クリンスマンにとって2度目の大会だった。90年イタリア大会では優勝を味わうとともに、ライバルであるオランダとマルコ・ファンバステンにも勝って、EURO88のリベンジを果たした。2年後のEURO92では、再びオランダに敗れた。
 今度もオランダは出場していた。ファンバステンも、ルート・フリットもいなかったが…。

 6月17日シカゴでの開幕試合で、ドイツはボリビアを1−0で破った。クリンスマンのゴールだった。相手のディフェンスラインの裏へと飛び出し、前進したGKカルロス・トルッコが足を滑らせたので、無人のゴールに蹴り込む形になったが、この得点のときに、私はドイツの選手の“巧さ”を感じたのを覚えている。
 始まりは――、いったん攻め込んで戻されたボールを、トーマス・へスラーがバックパスするところから――。受けた仲間がさらに後方へ。そこにリベロのローター・マテウスがいた。相手のバックパスを見て、ボリビアの最終ラインが押し上げてきた。
 バックパスをした直後のヘスラーが、反転して2列目からスタートするのに、マテウスの浮かせたパスがピタリと合い、ペナルティエリアの5m近く手前でヘスラーがトラップした。
 ボリビア側でヘスラーのスタートに気付いたのは、GKのトルッコだけだったろう。彼はゴールから飛び出し、ペナルティエリアの外まで走ってヘスラーを止めようとした。そのヘスラーのトラップが右へ流れると、そこにもう一人、ドイツのクリンスマンがいた。ヘスラーへのアプローチで足を滑らせ、バランスを崩したトルッコは、どうすることもできなかった。
 文字どおり、“裏を取った”このプレーのミソは、相手ゴールに背を向けてプレーをした後のヘスラーが、“押し上げ”を察知し、そこを狙うマテウスとの「あ、うん」の呼吸で、2列目からのダッシュでオフサイドトラップを駆け抜けたこと。そして、クリンスマンが、これも相手DFのターンより早く、裏へ出て行ったことである。

 どちらかといえば、“武骨”で日本人の好む“美”的要素の少ないように見えるドイツ代表だが、決定的なゴールシーンを作り出せるかの判断や動作は(当然のことながら)しっかりしていると思ったものだ。
 この試合の別の場面で、クリンスマンが相手のエラーでこぼれたボールへ走り寄った速さを見て、「今度の大会は調子が良さそう」だと感じた。
 ドイツはこれでCグループのリーグでまず1勝して、あとの計算が立つことになる。
 記録好きにとっては、1974年大会から、開幕試合にチャンピオンが登場することになって以来、一度も勝っていない、というこれまで6回のジンクスが破られたことになる。

 C組の第2戦の相手はスペイン。韓国と2−2で引き分けた彼らには落とせない試合、彼らの意欲は左右からの攻撃に表れた。14分に右からフアン・ゴイコエチェアが送ったファーポスト際へのボールを、GKボド・イルグナーが止められずにゴールへ。0−1からドイツが同点に追いついたのは、48分だった。マティアス・ザマーが右オープンスペースへ進出して倒されたFKを、ヘスラーがゴール正面へ蹴り、クリンスマンが相手DFに競り勝ってゴール右へ叩き込んだ。彼のヘディングのうまさ、強さが表れたゴールだった。

 第3戦の韓国戦でも、クリンスマンは2得点。1点目は、11分に右からのヘスラーのグラウンダーのパスを、ペナルティエリアいっぱいで、戻り気味な小さな動きから、右足でボールを浮かせ、反転して左足ボレーをゴール左へ送り込んだ。ビューティフルゴールだった。
 18分、カールハインツ・リードレの2点目は、クリンスマンの右タッチラインからのスローインがスタート。ボールを受けたギド・ブッフバルト(この大会の後、浦和の選手となる)が、相手と競り合い、長い右足を伸ばしてシュート。左ポストに当たったリバウンドをリードレが決めたもの。
 35分にクリンスマンの2点目――。ヘスラーの右FKをリードレが中央で飛び込み、触らずに流れてきたのを、ファーサイドでクリンスマンが止め、浮いたボールを右足ボレーシュートで決めた。DFの前に体を入れ、落ち着いてボレーシュートを“自分の高さ”で蹴ったところは“やはりストライカーと言うべき”か――。

「旅行が好きで、未知の国へ行くのが楽しみ」というクリンスマンにとって、米国の暑さや広さは、苦手にならなかったのか、この大会で彼は5得点を積んで、W杯の合計得点を8に伸ばしている。


(週刊サッカーマガジン 2008年9月23日号)

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