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1980年欧州選手権、巨人を苦しめる小国

 第1組の首位、西ドイツと第2組のトップに出てきたベルギーの決勝は、6月22日ローマで行なわれた。彼らの試合ぶり、守ろうと決めたときは全員で守り、ファウルも連発する―――といったやり方を批難する記者もいたが、かつてのマンチェスター・UのFWデニス・ローやリバプールのペイズリ―監督らは、「ベルギーは一人ひとりがしっかりしていて、試合のやり方を全員がよく心得ている。西ドイツも危いのでは―――」という意見だった。

 そして、決勝は戦略家グイ・ツイス監督が描いた筋書きで展開した。西ドイツのスピーディで、しかも変化に富んだ攻めをベルギーはしっかり守る。1点を奪われはしたが、後半はじめに、ちょっと西ドイツの動きが落ちると、ベルギーの中盤が冴える。ベルギーは専守防衛から一転して攻めあがり、ぺナルティーエリアへ突進しようとする。そのボールを奪った西ドイツがカウンターを仕掛けるとオフサイド・トラップ。そんな繰り返しで、若い西ドイツがイライラする。するとファウルが出る。後半25分にPKをもらってベルギーが同点としたときには、勝敗の行方はまったく予測がつかない。

 最後には西ドイツの若さ、最盛期のルムメニゲの早業と、ルベッシュのヘディングが決勝ゴ―ルを生んだが、ベルギーの老獪なプレーは、この小国が驚くべき試合巧者なチームをつくりあげたことを示した。
 この年の記録では、人口約1000万のベルギーは、プレーヤーの数が約30万人、プロフェッショナルが235人、セミプロが917人とある。
西ドイツのアマチュアが385万人、プロが360人、セミプロが1115人に比べると少ない。

 日本の国土の12分の1の小さな国の戦士たちが、サッカー大国・西ドイツの代表と戦うのを、旧約聖書の「巨人ゴリエテに対するダビデ」から見出しを取った、イタリアの新聞もあったほどだ。

 西ドイツは、巨人ゴリエテのようにはならなかったが、サッカーの母国イングランド、開催国イタリアといったジャイアンツ(巨人)がベルギーと引き分けたのは、ダビデの戦術にひっかかったといえるだろう。


(サッカーダイジェスト 1989年11月号「蹴球その国・人・歩」)

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