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ユルゲン・クリンスマン(10)94年米国大会の敗戦を新天地での名声に変え、30歳を越えて望み高く

 94年ワールドカップ(W杯)米国大会でユルゲン・クリンスマンとドイツ代表は、1次リーグを対ボリビア(1−0)対スペイン(1−1)対韓国(3−2)と、2勝1分けでトップ通過。ノックアウトシステムの第2ラウンド1回戦でベルギーを3−2で破った。
 この試合にベテランのルディ・フェラーが登場し2得点。クリンスマンも1ゴールを決めるのだが、11分のチーム2点目は34歳と30歳の2トップの鮮やかなコンビプレーから生まれた。この試合の前半に動きの量で目立っていたトーマス・ヘスラーの高い位置でのプレスから、フェラーがボールを取ってドリブルして、クリンスマンへ。クリンスマンがヒールで方向を変えて、再びフェラーがドリブル。見事なスワープの後、ペナルティエリアの正面ぎりぎりのところで右へかわし、ボールが流れたのをクリンスマンが走り込んで左足のダイレクトシュートで、右下へ決めた。美しい左足のスイングと弾道だった。

 24チームが16に絞られ、さらに8強となってイタリア―スペイン、オランダ―ブラジル、ブルガリア―ドイツ、ルーマニア―スウェーデンの準々決勝に入る。南米のアルゼンチンが、薬物事件でマラドーナを欠いて姿を消し、代わって東欧の2ヶ国がベスト8に残っていた。ドイツの相手は、猛牛のような力強い突進力と、左足の強烈なシュートを持つフリスト・ストイチコフを軸とするブルガリア。7月10日、ニューヨークでの試合で、大会上位常連のドイツが、このサッカー小国に1−2で敗れてしまった。
 クリンスマンはその試合を振り返って、「勝てる試合を落とした」と残念がる。
 彼自身の得意のヘディングは、GKボリスラフ・ミハイロフに防がれた。後半が始まってすぐのドリブルからPKをもらい、これをローター・マテウスが決めた。57分にはアンドレアス・メラーのシュートがポストを直撃し、そのリバウンドをルディ・フェラーが2点目――のはずがオフサイドと判定された。
 このあたりまではドイツの準決勝進出が濃厚だったのに、75分にストイチコフのFKが壁を越え、ゴールに飛び込んでから様相が変わる。

 韓国に追い上げられ、ベルギーにも終了間際に苦しめられたこの大会のドイツの不思議な流れは、3度目は“逆転”となる。78分にブルガリアの右からのクロスにヨルダン・レチコフがジャンプヘッドを合わせた。クリンスマンをトリッピングで倒した彼は、その埋め合わせをしただけでなく、ベスト4進出のゴールを決めたのだった。私は、この試合の移動中に聞かされて、あとでビデオを見た。
 ここしばらくのドイツ代表の失点の形(相手の右からのクロスに弱い)の一つだが、レチコフとヘディングを競り合いに行ったのが小柄なヘスラーだったことにも驚いた。

 敗戦の直後、クリンスマンは更衣室で1時間も動けないままだったという。W杯のベスト4進出、優勝争い――という私たちから見れば“超大事件”が毎回続いているこの国では、選手も、ファンも、メディアも失望は大きい。
 次の試合に進めなかったクリンスマンの得点は5点で終わり、大会得点王はロシアのオレグ・サレンコとストイチコフ(6ゴール)。次いでクリンスマンが5ゴール。同じ5ゴール組に、88年ソウル・オリンピックのライバルで、この大会の最優秀選手となったロマーリオ(ブラジル)もいた。

 大会が終わると、クリンスマンはモナコ(フランス)から、トットナム・ホットスパー(通称スパーズ=イングランド)に移る。
 シュツットガルト(ドイツ)からインテル(イタリア)そしてモナコへと移った。イタリアのメディアの激しく、執拗な取材攻撃の後、しばらくのモナコの静かな環境から、またまた激戦のイングランドのプレミアシップでプレーすることになる。
 自ら金銭の交渉にも当たるという彼の高額報酬について、さまざまな噂が飛び交うとともに、30歳の“高齢FW”がプレミアシップの長く、激しいスケジュールの中でどれだけ働けるのかと疑う声も少なくはなかったが……。

 94−95シーズン、つまり、8月20日から翌年の5月14日までのプレミアシップ42試合のうち、クリンスマンは41試合に出場して20ゴールを挙げる。パートナーのテディ・シェリンガムも18ゴール(前年14ゴール)と2人でチームの66得点のうち38得点。トットナムは15位から7位に躍進した。プレミアシップのこの年の得点王は、アラン・シアラー(34ゴール)だが、フットボール・ライターズ・アソシエーションの「ザ・フットボーラー・オブ・ザ・イヤー」(94−95)に選ばれ、サー・ボビー・チャールトンたちの列に加えられた。息の長い戦いは続く。


(週刊サッカーマガジン 2008年9月30日号)

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