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ユルゲン・クリンスマン(13)両足のシュート、ヘディングのうまさ、体の強さ、チームの芯になるストライカー

 98年フランス・ワールドカップ(W杯)、第2ステージの対クロアチア戦でクリンスマンのドイツ代表選手としてのキャリアは終わり、87−98年、12年間で108試合47ゴールの記録を残すことになる。
 W杯やヨーロッパ選手権といった大舞台では、前者が3大会17試合11ゴール、後者が3大会13試合6得点となっている。
 ここでそのうちのW杯での11得点を見ると、
 ▽ヘディング  3得点
 ▽足のシュート 8得点(うちボレーシュート4得点)となっている。
 ボレーシュートといえば88年の欧州選手権以来のライバルであるマルコ・ファンバステン(オランダ)のボレーシュートがあまりにも有名だが、クリンスマンもボレーでのゴールは少なくない。

 身長181cm。スリムでファンバステン(188cm)や98年のパートナーのオリバー・ビアオフ(190cm)よりも低いが、ジャンプ力を生かしたヘディングでもゴールを稼いでいる。

 彼のもう一つの特徴は、両足のシュートが良いこと、ボレーの4得点でも、左右2本ずつ、90年イタリアW杯のオランダ戦での左足ボレーは今も目に焼き付いている。
 左右からのクロスに合わせてのヘディングやトラッピングからのシュートは得意の形であり、また、相手DFラインの裏へ走り込んでのゴールもある。
 この連載で紹介した他の8人のストライカーも、それぞれ、自分の得意の形での実績を積んでいて、その数字比較も楽しいが、ここでは、ちょっと趣向を変えて日本の生んだ最高のストライカー・釜本邦茂のメキシコ・オリンピックのゴールと比べてみよう。

 釜本は1968年のメキシコ・オリンピックの6試合で7ゴールを挙げて得点王に輝き、日本代表の銅メダル獲得に貢献したことはよく知られているが、その7得点は
 ▽ヘディング  1得点
 ▽右足シュート 4得点
 ▽左足シュート 2得点 となっている。  足のシュートはドリブルシュート、胸で止めてのシュート、足で止めてのシュート、止めないでのシュートとさまざま。日本代表の総得点9点の残り2ゴールは渡辺正が決めているが、彼のゴールへの最終パスは釜本からで、一つはヘディング、もう一つは右足のパスだった。

 釜本は182cm(公称は179cmだった)と当時の日本代表の中ではズバ抜けて大きく、また国際舞台でも“長身”の方だった。
 クリンスマンと釜本はそれぞれ個性が違っていても
(1)右足でも、左足でも点を取れる
(2)ヘディングが強くてうまい
(3)ドリブル突破もできる といった基本的に通ずるものがある。

 この連載で取り上げたこれまでの8人のストライカーは、ロマーリオ(ブラジル)やフェレンツ・プスカシュ(ハンガリー)のような小柄な名手もいるし、ファンバステンやロナウド(ブラジル)のような長身のストライカーもいた。
 そうした、色々なタイプのストライカーが活躍するところにサッカーの面白みがあるが、釜本やクリンスマンのように体が強く、基本がしっかりとできるストライカーがいることは、チームの攻撃を組み立ててゆくうえで大きな効果があるはずだ。

 南米やアフリカ勢、あるいは同じヨーロッパでも南欧勢に比べると、テクニックの上で一歩劣っている感のあるドイツが、W杯やヨーロッパ選手権などの国際大会で常にトップを争うのはドイツ人の体の強さもあるが、クリンスマンのようなストライカーが育ってくるところにある――と私は考えている。

 さて、クリンスマンは、選手としてキャリアを終えたが、その間ドイツからイタリアへ、フランスへ、イングランドへ、またドイツへと渡り歩き、一見“天衣無縫”にも見える。クラブからクラブへのワンダリングは、今から思えば、ドイツの古来からの職人たちの修行のための“遍歴”であったのかもしれない。
 2004年に彼は、2006年W杯のホスト国ドイツの代表監督に就任する。サッカーから離れていたはずだが、2000年に彼はコーチのライセンスを取っていた。2006年大会は3位となった。ストライカー時代のライバルで、オランダ代表の監督を務めたファンバステンより良い成績だった。
 そして、今年2008年に今度はバイエルン・ミュンヘンの監督となった。ファンバステンもアヤックスの監督だから、2人はこれからも競い合うことになる。


(週刊サッカーマガジン 2008年10月21日号)

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