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【番外編】森島寛晃 守から攻への鋭さと、展開の大きさを小さな体で表した稀有なセカンドストライカー

 心に残るストライカーとしてメキシコ・オリンピック得点王の釜本邦茂(元・JFA副会長)を連載中です。前号で東京オリンピックまでの歩みを語り、いよいよメキシコ・オリンピックに向けて力を伸ばしていく時期に入るわけですが、今回は番外編として森島寛晃を取り上げさせて頂きます。

 10月31日長居競技場での引退記者会見のあと、モリシこと森島寛晃はカメラマンの注文に応じてピッチに立ち、さまざまなポーズをとった。スタンドに向かって手を振る――グラウンドに一礼する――ラインに沿って歩く――その一つひとつに彼の気まじめさが表れているのを見た。
 改めて日本の生んだ稀有なプレーヤーがピッチを去るのだ、と思った。もうあのランの壮快さも、ゴール前へ突如として現れる驚きも味わうことはないのかと何とも言えない寂しさを感じるのだった。

 広島で育ち、大河FCでサッカーに夢中になった少年モリシは、より高いレベルを求めて静岡の東海大一高で腕を磨き、91年にヤンマーに入る。93年、クラブはセレッソ大阪と名を改め、94年のJ昇格試合に勝って、モリシとセレッソは3年目のJに登場する。
 その昇格試合で私は初めてモリシを見た。Jでのプレーとともに彼は95年に日本代表入り。2002年の日韓ワールドカップを含めて日本代表64試合に出場して12得点(歴代14位)を記録した。セレッソではJ1で318試合94得点、J2で42試合12得点、ナビスコカップで47試合7得点、天皇杯で33試合15得点、3度の準優勝を経験している。
 そのプレーヤーのキャリアが2007年J2第5節、アウェーの札幌戦で止まってしまう。
 1月のジョギング中に原因不明の頭痛に襲われ、その病状が回復しないまま試合や練習を重ね、ついには戦列を離れることになってしまった(記者会見)ということだった。オーバートレーニング症候群ともいわれ、まじめな性格で練習をしすぎるプレーヤーに時に起こる――と言われてもいた。今から思えば、働き続けた体と気持ちを、どこかでボカッとある期間、休ませることができなかったのかと、私たちはいまさらのように悔やむ。

 ヤンマー、セレッソの50年のクラブの歴史を通じて、古くからのファン、サポーターは67年から84年まで釜本邦茂の比類なきストライカーぶりを堪能した。そして、95年から2007年まで森島寛晃の誰にも真似できないランプレーに心打たれた。Jリーグでも、日本代表でも彼はまずゴール前の危険地帯へ入り込む力を見せ、中盤での献身的なディフェンスと、そのあとに続く攻めの空間へのダッシュで相手側の脅威となった。

 日本代表が歴史上初めて聖地ウェンブリーでイングランドと戦ったとき(1−2で敗戦)、23歳の彼がピーター・ベアズリーのあからさまなトリッピングで倒されたのは、モリシの守から攻への転換の早さをベテランのベアズリーが脅威と見たからだった。
 彼のこうした働きが成熟するのは2000年。西澤明訓とモリシは独特のペアプレーでゴールを重ね、これがチーム全体にプラスとなってファーストステージの優勝を争った。このシーズン前に、ある会合で顔を合わせたとき、ゴール前に侵入してのシュート体勢についてヒントを出しておいたところ、彼は自らの工夫でそれまでモノにできなかった角度からのシュートを決めるようになり、それが得点力アップにつながったこともある。優勝はならなかったが、彼とサポーターにとって、幸福な半年だった。この年、日本代表サポーターはモロッコでのハッサン2世杯で、代表が“世界一”のフランスと戦い、モリシの“飛び出し”から先制ゴールが生まれるのを見た。

 そして、2002年ワールドカップの1次リーグ第3戦(長居)で彼は後半開始から出場して、すぐにDFのミスを拾って先制ゴールを挙げ、グループ1位でのベスト16進出の足場をつくった。この試合のメモに私は、「これでトルシエ監督が彼を正しく評価してくれれば、また起用法も違ってくる」と記したのだが……。
 その後も彼はJ1でもJ2でも天皇杯でも相手ボールを追い、危険地帯を防ぎ、チャンスとなると大きく開いてボールを受け、あるいは相手守備ラインの裏へ走り込んで、現代サッカーの面白さを伝えた。彼のランプレーは飛び出しのコース取りの巧みさが天下一品だったし、左から右への移行や広い展開で、小さな体ながらサッカーという競技のプレーの大きさをスタンドの観衆に感じさせていた。
 第2のサッカー人生で彼は指導者になるという。彼の人柄が子どもたち、若いプレーヤーにどんな良い影響を与えるかを楽しみにしている。


(週刊サッカーマガジン 2008年11月25日号)

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